ロザンナ・ザンボン

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ロザンナ・ザンボン
Rosanna Zambon
生誕 (1950-07-03) 1950年7月3日(66歳)
出身地 イタリアの旗 イタリアヴェネト州
スキオ
ジャンル 歌謡曲 ボサノヴァ
職業 歌手テレビタレント
活動期間 1968年 - 1990年
(ヒデとロザンナとして)
1991年 -
レーベル 日本コロムビア
ワーナー・パイオニア
事務所 クリームカンパニー

ロザンナ・ザンボン[1](Rosanna Zambon[1], 本名:加藤 絽山奈(かとう ろざんな)[2]、旧名:ロザンナ・ザンボン[3]ロザンナ・ザンボン・イン・加藤)、1950年7月3日[3] - )は、イタリアヴェネト州スキオ出身の歌手テレビタレントである。ロザンナの芸名で活動している。血液型O型[4]

夫婦デュオヒデとロザンナ」の一人として知られる。クリームカンパニー所属。

概略[編集]

  • 1967年、日本でミュージシャンをしていた叔父の勧めで、音楽学院を卒業と同時にグループ歌手として17歳で来日。
  • 1968年に後に夫となる東京都出身の出門英と「ヒデとロザンナ」を結成。デビュー曲の『愛の奇跡』が大ヒットして一躍売れっ子歌手の仲間入りを果たす。以降も『愛は傷つきやすく』などヒット曲を連発。
  • 1975年2月に出門英と結婚、二男一女に恵まれる(「ヒデとロザンナ」の項を参照)。
  • 以後1年間イタリアで休業後に復帰[5]。以来、タレント・ソロ歌手として活躍中。また、故郷のイタリア料理に造詣を持ち、テレビ番組の料理コーナーで腕前を披露している。
  • 長男、次男、長女とも結婚しており、孫が6人いる。
  • 60歳を過ぎたころから終活について考えるようになり、「と同じ墓に入りたい」「遺産相続問題で子供たちに迷惑をかけたくない」と帰化を決意し、2016年1月から申請を開始。
    漢字の読み書きの勉強など本人の努力、イタリアの実家の親族の理解・協力のもと、2017年3月30日付で帰化が正式に認められた[3]。このことは同年6月2日放送の『爆報! THE フライデー』内で手続きの模様を公開した[6]

出演番組[編集]

現在[編集]

過去[編集]

CM[編集]

ディスコグラフィー[編集]

ヒデとロザンナ時代[編集]

ヒデとロザンナ」の項を参照。

ソロ時代[編集]

著書[編集]

ビデオ[編集]

  • ロザンナのとっても簡単イタリアン! (1995年、ワーナーミュージック・ジャパン)

映画[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 現地のイタリア語では「ヅァンボン」とより近く発音される。
  2. ^ ヒデとロザンナのロザンナが加藤絽山奈に 日本国籍を取得 - デイリースポーツ 2017年6月2日
  3. ^ a b c 官報 第6988号(2017年3月30日)3ページ 法務省告示第百六十五号 法務大臣 金田勝年
  4. ^ ロザンナ - 株式会社クリーム・カンパニー(プロフィール)
  5. ^ ロザンナさん 夫ヒデが亡くなってから立ち直るまでの日々回想 - ニュースポストセブン 2014年10月7日
  6. ^ 帰化を目指した元紅白歌手、壮絶な手続きを明かす。「やることはやったって感じ」 - E-TALENTBANK 2017年6月4日

外部リンク[編集]