ロザリオ・スカレロ

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ロザリオ・スカレロ
基本情報
生誕 (1870-12-24) 1870年12月24日
出身地 イタリアの旗 イタリア
ピエモンテ州 モンカリエーリ
死没 (1954-12-25) 1954年12月25日(84歳没)
イタリアの旗 イタリア
ピエモンテ州 イヴレア
学歴 トリノ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト作曲家
担当楽器 ヴァイオリン

ロザリオ・スカレロ: Rosario Scalero1870年12月24日 - 1954年12月25日[1])は、イタリア作曲家ヴァイオリニストイギリスオーストリア留学したのち、長年アメリカ合衆国教育者として過ごした。

経歴[編集]

サンタ・チェチーリア音楽院の教師でヴァイオリニスト・楽器製作者であったピエトロ・ベルタッツィに、6歳までにトリノで指導を受ける[2]1881年トリノ音楽院に入学してルイージ・アヴァッレに師事。15歳でセザール・トムソンに入門する。しばらく健康上の理由でモンカリエーリに帰郷したが、その後トリノに戻って1889年ごろにカミッロ・シヴォリの指導を受け、またその頃にはシヴォルニ四重奏団にも加わっていた。1891年ライプツィヒでリサイタルを行なってデビューを果たし、その後はミラノローマロンドンなど、ヨーロッパの各地で評論家の称賛を得た。

1895年にロンドンに留学し、当時バイロイト音楽祭コンサートマスターとして高名だったアウグスト・ヴィルヘルミの薫陶を受ける。1900年にロンドンからウィーンに移り、オイゼビウス・マンディチェフスキに師事。1907年ローマに戻り、1913年に「四重奏協会」を設立してその監督とヴァイオリニストを務めた。

1919年エルネスト・ブロッホの後任教師としてニューヨークマネス音楽学校に招聘され、1927年からはフィラデルフィアカーティス音楽院に転任した。この間もヴァッレ・ダオスタ州に自宅を構えていたらしい[3]1946年に帰国するとイヴレア近郊のモンテストルット城に閑居し、1954年に同地で世を去った。

作曲家としては、マンディチェフスキに献呈した《ヴァイオリン・ソナタ》のほかに、弦楽四重奏弦楽合奏のための《組曲》や、交響詩《神聖な森(La Divina Foresta)》を遺している。

著名な門人に、サミュエル・バーバーヒューゴー・ワイズガルジャン・カルロ・メノッティニーノ・ロータルーカス・フォス [4]らがいる。

外部リンク[編集]

[編集]

  1. ^ [1] The Strad, October 1895
  2. ^ ibid.
  3. ^ [2] Musical prodigies, Claude Kenneson ISBN 1-57467-046-8
  4. ^ [3] Grace Notes: Lukas Foss