ロサンゼルス暴動

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4,000人を超える連邦軍部隊(陸軍、および海兵隊)が投入された。

ロサンゼルス暴動(ロサンゼルスぼうどう)とは、1992年4月末から5月頭にかけて、アメリカ合衆国ロサンゼルスで起きた大規模な暴動。新旧の人種問題、陪審制の難しさなど、暴動の背景にある多くの問題が浮き彫りになった。

サウスセントラル地区の人口比率の変動と人種間の緊張[編集]

事件の重要な要件として、暴動がはじまったサウスセントラル地区の人口比率の変化が挙げられる。サウスセントラルはかつて黒人地区であったが、ヒスパニック系が居住者として取って代わるようになっていた。国勢調査によれば、歴史的に黒人居住地区であった場所におけるヒスパニック系住民の増加率は119%に達していたという。こういった地区では商店などの経済競争が人種間の憎悪を高めていった。それまで黒人が一手に引き受けていた単純労働は、半分の賃金で働くラテン系移民へと移っていった[要出典]

ロドニー・キング事件、およびその裁判[編集]

1991年3月3日、黒人男性ロドニー・キングがレイクビューテラス付近でスピード違反を犯し、LA市警によって逮捕された。その際、20人にものぼる白人警察官が彼を車から引きずり出して、装備のトンファーバトンやマグライトで殴打、足蹴にするなどの暴行を加えた。たまたま近隣住民が持っていたビデオカメラでこの様子を撮影しており、この映像が全米で報道され黒人たちの怒りを膨らませた。[要出典]

この事件でビデオに映り身元が分かる白人警官3人(ステーシー・クーン巡査部長、ローレンス・パウエル巡査、ティモシー・ウィンド巡査)とヒスパニック系警官1人(セオドア・ブリセーノ巡査)の計4人が起訴された。裁判の結果、警官達の“キングは巨漢で、酔っていた上に激しく抵抗したため、素手では押さえつけられなかった”との主張が全面的に認められ(実際はおとなしく両手をあげて地面に伏せたキングが無抵抗のまま殴打され、医療記録によるとあごを砕かれ、足を骨折、片方の眼球は潰されていたとされるが、裁判では認められなかった)、事件発生から1年経過した92年4月29日に陪審員は無罪評決を下した。これについては、白人住民の多かったシミ・バレーで法廷が開かれ、陪審員に黒人は含まれていなかった事も原因の一つであるといわれる。[要出典]

ラターシャ・ハーリンズ射殺事件[編集]

ロドニー・キング事件のわずか13日後となる1991年3月16日、持参したバックパックに1ドル79セントのオレンジジュースを入れ、手に支払いのための小銭を握っていた[1]黒人少女(当時15歳)であるラターシャ・ハーリンズを韓国系アメリカ人の女性店主、斗順子(トウ・スンジャ、Soon Ja Du、当時49歳)が射殺したのである。事件の様子は防犯ビデオに収められており、2人は揉み合いになったのちに少女が店主の顔面を4度殴打、店主は床面に激しく転倒させられた。店主は少女に椅子を投げつけた。[要出典]

その後、件のオレンジジュースをカウンターに置いて店から歩いて出て行こうとする少女に対して、店主は背後から銃を向け、その頭部を撃ち抜いた。スンジャは逮捕され、事件の判決は同年11月15日に出された。陪審員は16年の懲役を要求していたにもかかわらず、判決は5年間の保護観察処分、およびボランティア活動400時間、罰金500ドルという殺人罪としては異例に軽いものであった[要出典]この判決は黒人社会の怒りを再び煽ることとなり、無実の黒人少女を射殺するというこの事件により、黒人社会と韓国人社会間の軋轢は頂点に達した。[要出典]

暴動勃発[編集]

1992年4月29日、LA市警の警官への無罪評決が下されたこの日、評決に怒った黒人たちが手の付けられない暴徒と化し、ロサンゼルス市街で暴動を起こして商店を襲い、放火や略奪をはじめた。黒人の中には「天罰だ」と歓声を上げる者もいたが、事態の重大さに気づき、すぐに重苦しい雰囲気に包まれた[要出典]

また、小規模な暴動及び抗議の動きはロサンゼルスだけではなくラスベガス、アトランタ、サンフランシスコをはじめとしたアメリカ各地、およびカナダの一部にまで波及したようである(「本部長は辞任せよ」「4人の警官は全員有罪だ」「暴力警官からバッジを取り上げろ」のプラカードを掲げて抗議デモをしたグループもあった)[要出典]

レジナルド・デニー集団暴行事件[編集]

この暴動が勃発した初日、LA市内をトラック輸送仕事でいつも通り走行していた白人トラック運転手、レジナルド・デニーはフローレンス通りとノルマンディーアベニューの交差点で信号待ちをしていた際、主に若者を中心とした暴徒化した黒人らにキャビンから引きずり出されて暴行を受けた。その内容は、コンクリート塊でこめかみを強打したり、倒れた被害者の頭部に数十キロの鉄の塊(エンジンブロック)を投げ落とすなどだった。またこの様子は地元TV局の取材ヘリから空撮されており、この衝撃的なシーンは幾度となく繰り返し全米にTV放送され、彼はロサンゼルス暴動におけるもっとも著名な被害者となった。なお、暴行を受けた後、彼はTVニュースでその暴行のライブ中継を見ていた地域住民の黒人によって助け出され、病院で開頭手術などを受け一命を取り留めている。[要出典]

LA市警と非常事態宣言[編集]

主な襲撃目標となったLA市警は自らを守るだけで手一杯の状況となり、暴動を取り締まることはまったくできなくなっていた。その証拠に前述の、中継されたデニー集団暴行事件でも最後まで警察は現れる事はなかった。この時、LA市警は現場に黒人警官のみを行かせるよう編成をしており、現場近くにいた白人制服警官達には「現場に近づくな」との命令がディスパッチャー(通信司令)を通して発せられていた。[要出典]

4月30日、当時の市長トム・ブラッドリー(黒人。翌93年9月末退任)は非常事態宣言を発令した。[要出典]

暴動鎮圧のために州兵は元より、4,000人を超える連邦軍(陸軍、および海兵隊)部隊までが投入され、さらには司法省が、ロドニー・キング事件について、公民権法違反(第7篇。人種差別行為禁止)容疑でのFBIによる再捜査をアナウンスするなどの努力によって、6日間にわたった暴動はようやく収束を見た。[要出典]

被害[編集]

暴動による被害は死者53人、負傷者約2,000人を出し、放火件数は3,600件、崩壊した建物は1,100件にも達した。被害総額は8億ドルとも10億ドルともいわれる。この事件での逮捕者は約1万人にものぼり、そのうち42%が黒人、44%がヒスパニック系、そして9%の白人と2%のその他の人種が含まれていた。[要出典]

暴動以後[編集]

  • 暴動後、ロドニー・キング殴打事件の再審理を求める世論が盛り上がり、FBIが公民権法違反で再捜査を行った。再審理の結果、指揮を執る立場にあったクーン巡査部長と直接関与したパウエル巡査の2人が有罪評決を受けた(ブリセーノ巡査とウィンド巡査は無罪)。LA郡の連邦地裁陪審団は同市に対しキングに約382万ドル(当時レートで約3億9700万円)の賠償金を支払うよう評決を下した。キング側は「警官の暴行は人種的な背景によるもので、頭部を殴打されたため脳に回復不能の障害が残り視力低下や頭痛、集中力欠如などの後遺症に苦しむ」と主張。この評決が下される際も、暴動が再発するのではないかと緊張が走ったが、事前の警備が万端であった上にほぼ順当な判決が下されたこともあり、暴動が起きるようなことはなかった[要出典]
  • ロドニー・キング事件以来、「警官は悪だ」とのイメージが定着して、全米で警官の志願者が減少し、警察署は定員充足率9割強という人材不足に頭を悩ませている[2]
  • キングはのち、2012年6月17日ロサンゼルス市内の自宅プールで死去した。47歳だった[3]

ロサンゼルス暴動を題材にした作品[編集]

音楽[編集]

  • アメリカのバンドSUBLIMEのメジャー1stアルバム「SUBLIME」の5曲目「April 29, 1992 (Miami)」
  • アメリカのバンドRage Against The Machineの3rd.アルバムの名前「The Battle Of Los Angeles」
  • アメリカのラッパーIce TによるヘヴィメタルバンドBody Countの楽曲「Cop Killer」。ロサンゼルス暴動当時の警察の腐敗や横暴を罵った歌詞[4]が物議を醸した。

映画[編集]

  • わが街』:1991年公開。ロサンゼルス暴動の遠因となった異人種間、および異なる社会階層によって分け隔てられた人々を描いている。主人公(白人)が自分のレクサス・LS400で帰宅中エンジントラブルを起こし、黒人の暴漢に囲まれてしまうが、レッカー車に乗った黒人に助けられるというシーンがあり、奇しくもこの1年後に同じことが現実に起こった。
  • マルコムX』:1992年公開。冒頭でマルコムXの実際の演説と共に暴行を受けるロドニー・キングの映像が挿入されている。
  • カッティング・エッジ』:1994年公開(日本未公開)。暴動後のベニスビーチを描いている。
  • ダーク・スティール』:2002年公開。腐敗した警察をロサンゼルス暴動に向けた時間軸で描いている。また、ロドニー・キング事件と、レジナルド・デニーを殴打している実際のシーンが挿入されている。
  • ザ・LAライオット・ショー英語版』:2005年公開。事件を基にしたブラック・コメディ映画。スヌープ・ドッグが進行役として出演。
  • マイ・サンシャイン』:2017年公開。暴動に巻き込まれていく家族が描かれる。
  • LA 92』:2017年公開。起点となったロドニー・キング事件から暴動集結までを全て実際の映像で振り返る。当時の大衆やメディアが人種差別をどの様に捉えていたか見ることができる。

漫画[編集]

  • ゴルゴ13』:第101巻3話「カオスの帝国」、女性社会学者が専攻している「社会カオス理論」の実証のために暴動のきっかけとなったロドニー・キング事件を仕組み、更にその後の裁判で警察官が無実となるように操作して暴動を誘発するというストーリーとなっている。

その他[編集]

  • 映画コラムニストのジャンクハンター吉田はロサンゼルスに居住していた時代に折から発生したこの暴動を体験した[5]
  • ドラマ『L.A.ロー 七人の弁護士』においてロサンゼルス暴動当日をエピソードにした回が存在する。
  • ドラマ『天才少年ドギー・ハウザー』においてもロサンゼルス暴動を題材にしたエピソードがある。主人公・ドギーの勤務する病院には暴動による負傷者が次々と運び込まれる。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]