ロイス・ローリー
ロイス・ローリー | |
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2016年のローリー | |
| 生誕 |
1937年3月20日(89歳) |
| 職業 | 児童文学作家 |
| 言語 | 英語 |
| 活動期間 | 1977年 - |
| ジャンル | 児童文学 |
| 代表作 |
『ザ・ギバー 記憶を伝える者』(1993年) 『ふたりの星』(1989年) |
| 主な受賞歴 |
マーガレット・A・エドワーズ賞(2007年) ニューベリー賞(1990年・1994年) |
| 公式サイト | https://loislowry.com/ |
ロイス・ローリー(英: Lois Lowry、1937年3月20日 - )は児童文学作家。アメリカ合衆国のハワイ州ホノルル出身[1]。
生い立ち
[編集]アメリカ陸軍の歯科医であった父について、引越しを重ねた。1940年、3歳のときにハワイからニューヨーク州ブルックリンへ引っ越した。1942年、第二次世界大戦中に父が太平洋戦線へ派遣されたことを受け、一家はペンシルベニア州カーライルにある母親の故郷へ転居した。第二次世界大戦終戦後の1948年から1950年まで、父の駐留に伴い、10代の初めを東京で過ごす。アメリカン・スクール・イン・ジャパンに通っていた。日系アメリカ人児童作家アレン・セイも同時期に日本に滞在していたが、それが判明するのは二人が授賞式で会った1994年、50代になってからである。ローリーが授賞式でセイに日本語で署名した自著を手渡したことがきっかけで、セイが中学生だった頃渋谷で自転車に乗る同い年のローリーをよく見かけていたことが判明した[2]。
1950年に朝鮮戦争が勃発すると、米国に戻った。ローリーは各地を転々とした後、のちにブラウン大学と統合されたペンブローク・カレッジに進むが、2年生終了時の19歳で結婚し、大学を中退する。アメリカ海軍士官である夫について再び転居を繰り返しながら4児の母となる。メイン州に落ち着いた後は、州立南メイン大学(en:University of Southern Maine)に再入学し、最終的に大学院を修了する。この頃から本格的に執筆を始める。
1977年、40歳のときに最初の児童文学作品である『モリーのアルバム』(原題 A Summer to Die)を発表する。同年、離婚。『ふたりの星』と『ザ・ギバー』で ニューベリー賞を二度受賞する[3]。現在は、かつて夫がハーバード大学の法科大学院で学んでいた期間に住んでいたマサチューセッツ州ケンブリッジに住む。
ローリーの息子グレイは米空軍の少佐兼飛行教官だったが、1995年に搭乗していた戦闘機の墜落事故で亡くなった[4]。
文筆活動
[編集]ローリーは当初、フリーランスのジャーナリストとして活動していた。1970年代、レッドブック誌に短編小説を投稿した。その作品を読んだホートン・ミフリン社の編集者が、ローリーに児童書の執筆を提案した。ローリーはこれを受け入れ、『モリーのアルバム』を執筆し、ホートン・ミフリン社から出版された。この本は、姉のヘレンとの経験に基づき、末期疾患をテーマにしている。
1980年に次の作品『オータム・ストリート』を発表した。この小説は、第二次世界大戦中に祖父の元に預けられた少女の視点から語られており、第二次世界大戦中に父親が戦地に派遣されたという彼女自身の体験に基づいている。彼女がこれまでに発表した作品の中で、『オータム・ストリート』は最も自伝的な作品であるとされている[5]。同年、『わたしのひみつノート1』を出版し、このシリーズは1995年まで続いた。
ローリーは1989年に『ふたりの星』を出版し、1994年に『ザ・ギバー』を出版した。『ザ・ギバー』は、共同体によって抑圧されてきた記憶を守る「ギバー」の弟子となった12歳の少年ジョナスの体験を描いている。2021年時点で、『ザ・ギバー』の累計販売部数は1,200万部を超える。また、1990年代には禁書とされることも多かった[6]。『ザ・ギバー』の出版後、同じ世界を舞台にした3つの続編小説、『ギャザリング・ブルー 青を蒐める者』(2000年)、『メッセンジャー 緑の森の使者』(2004年)、『SON(息子)』(2012年)を発表している。
2020年、詩集『水平線のかなたに : 真珠湾とヒロシマ(On the Horizon)』を出版した。この作品では、ハワイや東京での幼少期の思い出、そして真珠湾攻撃や広島への原爆投下で失われた命について綴られている。また、新型コロナウイルス感染症のパンデミック中、新たな序文を付け加えた上で『Like the Willow Tree』が再刊された。この作品は、1918年のスペイン風邪の流行中に孤児となった少女の物語で、2011年に初版が刊行されていたが、物語で描かれている問題が改めて注目を集めるようになったことを受け、スコラスティック社により再刊された。
評価と書籍の禁止
[編集]ローリーは作品を通じて、人種差別、不治の病、殺人、ホロコースト、権威への疑問など、数々の複雑な問題や困難なテーマを掘り下げてきた。
2000年までに米国の学校や図書館で禁止されたことのある著作は8冊に上る[7]。特に『ザ・ギバー』は、米国の教育現場で様々な反応を引き起こした。必修カリキュラムの一部として採用する学校もあった一方で、授業での使用を禁じた学校もあった。2012年のニューヨーク・タイムズ紙によると、『ザ・ギバー』は出版以来、米国図書館協会の「禁止・問題視された図書」リストで常に上位にランクインし続けてきたという。
作品
[編集]かわいらしい子供向きの作品から、シリアスなサイエンス・フィクションまで幅広い作風を持っている。
- モリーのアルバム (A Summer to Die) - 1977年(講談社)
- わたしのひみつノート1 (Anastasia Krupnik) - 1979年(偕成社)
- ふたりの星 (Number the Stars) - 1989年(講談社)
- ザ・ギバー (The Giver) - 1993年(講談社)
- ギャザリング・ブルー 青を蒐める者 - 2000年
- メッセンジャー 緑の森の使者 - 2004年
- SON(息子) - 2012年
- サイレント・ボーイ (The Silent Boy) - 2003年(アンドリュー・プレス)
- 水平線のかなたに : 真珠湾とヒロシマ(On the Horizon) - 2020年
関連項目
[編集]- ギヴァー 記憶を注ぐ者(2014) - フィリップ・ノイスによる映画
- ウィロビー家の子どもたち(2020)
- アメリカ文学
- 児童文学
- 児童文学作家一覧
脚注
[編集]- ↑ “Lois Lowry | Pennsylvania Center for the Book” (英語). pabook.libraries.psu.edu. 2026年7月15日閲覧。
- ↑ Lois Lowry:Speech for the University of Richmond(英文 pdf pp.23-24)
- ↑ “ALA | Newbery Medal & Honor Books, 1922-Present” (英語). www.ala.org. 2026年7月15日閲覧。
- ↑ Kois, Dan (2012年10月3日). “The Children’s Author Who Actually Listens to Children”. The New York Times (アメリカ英語). ISSN 0362-4331. 2026年7月15日閲覧.
- ↑ “Lois Lowry - Books, Age & Facts” (英語). Biography (2020年6月16日). 2026年7月15日閲覧。
- ↑ “Top 100 Most Frequently Challenged Books: 1990-1999 | Banned Books” (英語). www.ala.org. 2026年7月15日閲覧。
- ↑ “CNN.com - Books - Book challenges drop, but librarians, writers remain wary - September 26, 2000”. www.cnn.com. 2026年7月15日閲覧。
参考文献
[編集]- Lois Lowry 公式サイト
- ロイス・ローリー (@LoisLowryWriter) - X(旧Twitter)