レン・コーネッキー

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レン・コーネッキー (レナード・ジョージ「レン」・コーネッキー)
Leonard George "Len" Koenecke
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ウィスコンシン州ソーク郡バラブー(en:Baraboo, Wisconsin[1]
生年月日 1904年1月18日[1]
没年月日 (1935-09-17) 1935年9月17日(31歳没)[1]
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投[1]投左打[1]
ポジション 中堅手
初出場 MLB / 1932年4月12日[1][2]
最終出場 MLB / 1935年9月15日[1][3]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

レン・コーネッキーLeonard George "Len" Koenecke1904年1月18日 - 1935年9月17日)は、アメリカメジャーリーグの元野球選手中堅手)である。ニューヨーク・ジャイアンツとブルックリン・ドジャースに通算3シーズン在籍し、現役中の1935年9月、自身の飲酒による乱暴を制圧された際に死亡した[1]

経歴[編集]

前半生[編集]

ウィスコンシン州バラブー生まれ[1][4][5]。父は機関車の技師で、本人は鉄道の消防士として働いていた[5][6]

コーネッキーは1927年にミシシッピ・ヴァレー・リーグ(en:Mississippi Valley League)所属のモリーン・プロウボーイズ(en:Moline Plowboys )に入団した。1928年にはアメリカン・アソシエーション(en:American Association (20th century)[注釈 1]所属のインディアナポリス・インディアンズと契約した[5][7]。インディアンズ所属の最終年には、打率.354、本塁打23本、三塁打20本、二塁打23本という記録を残している[7]

数シーズンをインディアンズで過ごした後、コーネッキーは1931年12月にニューヨーク・ジャイアンツと75,000ドルで契約を交わした[7]。当時のジャイアンツ監督で名将として知られたジョン・マグローは、コーネッキーについて「ナショナル・リーグの輝けるスター選手となろう」と評している[7]。1932年4月12日に初出場し、42試合で打率.255、本塁打4本、二塁打5本という成績だった[1]。コーネッキーがニューヨーク・ジャイアンツに在籍したのは、1年のみであった[7]

1933年はインターナショナルリーグに在籍し、打率.334、8本塁打、 100打点という成績だった[4]。1934年にブルックリン・ドジャースに移籍し、123試合に出場して打率.320、14本塁打、73打点を記録し、守備率は0.994を記録した[1][5]

ドジャース移籍2年目に入ったコーネッキーの野球選手としての技量は低下し、手に負えないふるまいが多くなっていた[4]。その理由は、彼の飲酒問題だった[4][5]。9月15日のシカゴ・カブス戦終了後にドジャースの監督ケーシー・ステンゲルはコーネッキーを見放し、遠征の途上で彼を帰らせることにした[注釈 2][3][4][5]

[編集]

1935年9月17日、コーネッキーはセントルイスからデトロイト行の飛行機に搭乗した[5]。搭乗中、コーネッキーはウイスキーを暴飲し、泥酔状態となった。その上、他の乗客に嫌がらせしたりスチュワーデスを殴ったりしたため、操縦士は座席に彼を縛りつけておかねばならなかった。コーネッキーはデトロイトの空港に到着後、意識を失った。空港の椅子で睡眠をとった後、午後10時頃にコーネッキーはデトロイトからバッファロー行のチャーター便に搭乗した[4][8]

カナダの上空を飛行中、コーネッキーは乗務員とトラブルを起こした[4]。コーネッキーは副操縦士相手にさんざん暴れ、飛行機は制御を失いかけた[8]。操縦士は墜落を避けるために彼の頭を数回殴り、小型消火器をぶつけた[4][5][8]。飛行機がトロントの競馬場に緊急着陸した後、コーネッキーは脳内出血で死亡したことがわかった[4][5]。操縦士は過失致死罪で起訴されたが、無罪となった[5]。コーネッキーはウィスコンシン州フレンドシップ(en:Friendship, Wisconsin)にあるマウントレポーズ墓地に埋葬された[5]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ アメリカン・アソシエーションは1902年から1962年、及び1969年から1997年に存在したマイナーリーグで、現存のアメリカン・アソシエーションとは異なる。
  2. ^ 一部のウェブサイトでは「セントルイス・カージナルス戦終了後」と記述されているが、本項ではbaseball-reference.comの記述に拠った。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Len Koenecke Baseball-Reference.com 2014年1月18日閲覧。(英語)
  2. ^ Tuesday, April 12, 1932, , Polo Grounds V Baseball-Reference.com 2014年1月18日閲覧。(英語)
  3. ^ a b Sunday, September 15, 1935, , Wrigley Field Baseball-Reference.com 2014年1月18日閲覧。(英語)
  4. ^ a b c d e f g h i Len Koenecke New-York Historical Society 2014年1月18日閲覧。(英語)
  5. ^ a b c d e f g h i j k Len Koenecke's Air Rage findadeath.com 2014年1月18日閲覧。(英語)
  6. ^ Transport: Fight in Flight Monday, Sept. 30, 1935 Time 2014年1月18日閲覧。(英語)
  7. ^ a b c d e GIANTS WILL COUNT ON THREE ROOKIES FOR TITLE TEAM The Milwaukee Sentinel. December 20, 1931 2014年1月18日閲覧。(英語)
  8. ^ a b c FIGHT TO DEATH IN AIR CAUSES FLYERS' ARREST Spokane Daily Chronicle - Sep 17, 1935 2014年1月18日閲覧。(英語)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]