レフ・カチンスキ
ナビゲーションに移動
検索に移動
| レフ・カチンスキ Lech Kaczyński | |
| 任期 | 2005年12月23日 – 2010年4月10日 |
|---|---|
| 出生 | 1949年6月18日 |
| 死去 | 2010年4月10日(60歳没) |
| 政党 | |
| 配偶者 | マリア・カチンスカ |
| 署名 | |
レフ・カチンスキ(ポーランド語: Lech Kaczyński、1949年6月18日 - 2010年4月10日)は、ポーランドの政治家、大統領。兄のヤロスワフと共に、一卵性双生児の政治家として知られる。2010年4月、カティンの森事件追悼70周年記念式典に出席するため搭乗していた大統領専用機の墜落事故により、同じく式典出席のため同行していた妻のマリアおよび多数の有力政府高官と共に死亡した。
略歴[編集]
- 1971年 - 1977年:グダンスク大学の科学職員
- 1977年:労働者保護委員会(「連帯」の前身)において政界入り。
- 1980年:「連帯」第1回会議代表
- 1980年8月:グダンスクでのストライキに参加し、スト委員会の法律顧問となる。
- 1983年 - 1984年:「連帯」の委員会の1つを率い、後にグダンスク労働組合議長となる。
- 1988年:「連帯」全ポーランド委員会書記
- 1989年:「連帯」全ポーランド委員会幹部会議員。上院議員に選出。
- 1990年:「連帯」全ポーランド委員会第1副議長
- 1991年:下院議員に選出。大統領官房国家安全保障局長となる。
- 1992年 - 1995年:中央聴講委員会議長、最高監督院議長
- 1990年代:「中道勢力の合意」連合の党首の1人
- 2000年 - 2001年:イェジ・ブゼク政権下で法務相
- 2001年春:兄のヤロスワフと共に、政党「法と正義」(PiS)を創設し、同年、議会選挙で投票数の9.5%を獲得する。
- 2001年:同党総裁に選出
- 2002年:ワルシャワ市長
- 2003年:「法と正義」総裁職を兄のヤロスワフと交代
- 2005年3月:大統領選挙への出馬を表明する。
- 2008年12月2日:来日
- 2010年4月10日:カティンの森事件追悼70周年記念式典の為、自身やマリア夫人を始めとするポーランド政府使節団が乗ったポーランド空軍所属ツポレフ154型専用機がロシア西部スモレンスクの北4kmにあるスモレンスク北飛行場[1]で墜落、乗客乗員96名全員が死亡した[2]。
人物[編集]
ワルシャワ出身。双子の兄のヤロスワフより45分若い。[要出典]父のライムンドはエンジニアで、1944年のワルシャワ蜂起の際は地下組織軍として戦う。母ヤドヴィガは言語学者。妻マリアとはグダンスク時代に知り合い、1女をもうけた。
ワルシャワ大学とグダンスク大学の法学部を卒業。法学博士。カトリック教徒。 共産主義の時代は有名な連帯発足以前から法律家・弁護士の立場で労働者に労働者の権利を説く。アンジェイ・グヴィヤズダなどと共に連帯の発足に大きく関与する。そして共産主義崩壊とともに政治の表舞台へと出る。ワルシャワ市長に就任後その政治手腕にワルシャワ市民から圧倒的な人気を勝ち取りその後大統領選へ出馬、当選しポーランド共和国大統領となる。
趣味は、歴史と哲学。子供時代、兄のヤロスワフと一緒に、映画「月をぬすんだ双子」(1962年)に出演。レフはイヤツェックの役、ヤロスワフはプラツェックの役を演じた。
墜落事故後の2010年4月18日に、クラクフでの国葬の後、妻と並べられてヴァヴェル大聖堂に埋葬された。
出典[編集]
- ^ ロシア空軍航空基地。市の南部のスモレンスク空港ではない。
- ^ ポーランド大統領が死亡=搭乗機墜落、死者96人か-ロシア西部 時事通信
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- (ポーランド語)/(英語) Official site
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代: アレクサンデル・クファシニェフスキ |
第三共和政第4代:2005年 - 2010年 |
次代: ブロニスワフ・コモロフスキ (代行) |
| 先代: ヴォイチェフ・コザク (pl) |
2002年 - 2005年 |
次代: ミロスワフ・コハルスキ (en) (代行) |
| 先代: イェジ・ブゼク (代行) |
第9代:2000年 - 2001年 |
次代: スタニスワフ・イヴァニツキ (en) |
| 先代: ヴァレリアン・パンコ (pl) |
最高監督院議長 1992年 - 1995年 |
次代: ヤヌシュ・ヴォイチェホフスキ (en) |
| |||||||||||||||||||