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レニエ2世 (エノー伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レニエ2世
Régnier II
エノー伯
在位 916/25年 - 932年

出生 890年ごろ
死去 932年
配偶者 アデライード・ド・ブルゴーニュ
子女 レニエ3世
ロドルフ
リエタール
家名 レニエ家
父親 エノー伯レニエ1世
母親 アルベラード
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レニエ2世(Régnier II, 890年ごろ - 932年)は、エノー伯(在位:916/25年 - 932年)。916年に西フランク王シャルル3世の側近として文書に登場し、王に対する兄ギゼルベルト(ジズルベール)の反乱に参加しなかったため兄と戦ったが、後に兄と和解した。

生涯

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レニエ2世はロートリンゲン貴族レニエ家の出身で、レニエ1世とその妻アルベラードの次男である。兄は後のロートリンゲン公ギゼルベルト(ジズルベール)。妹はナミュール伯ベランジェと結婚した。

レニエ2世は、916年1月19日にエルスタルに滞在していた西フランク王シャルル3世の側近として兄ギゼルベルトと共に最初に確認される。レニエ2世はすでに伯爵(comes)の称号を持っていたが、同時代の資料ではレニエ2世がいつエノー伯に任命されたのか確認できない。レニエ2世はシガールあるいは915年末に亡くなった父レニエ1世から直接継承した可能性もある。聖ジェラールの伝記および966年に皇帝オットー1世が発行した文書には、レニエ2世がエノー伯であったと記されている[1]

レニエ2世は、兄ギゼルベルトがシャルル3世に対して反乱を起こした際に兄との戦いに巻き込まれ、ギゼルベルトはエノーを荒廃させた。924年、ギゼルベルトは義弟ナミュール伯ベランジェに捕らえられ、レニエが息子の1人を人質として義弟に渡した後に再び解放された[2]。ロートリンゲンが926年まで東フランク王国の支配下に置かれた後、レニエとギゼルベルトは互いの支配権を認め、和解した。

結婚と子女

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レニエ2世はブルゴーニュ公リシャールとオセール女伯アデライードの娘アデライードと結婚した[3]。この結婚で少なくとも3男1女が生まれた。

  • レニエ3世(920年頃 - 973年) - エノー伯
  • ロドルフ(966年以降没) - マーズガウ伯およびエスベイ伯
  • リエタール
  • 娘 - ベトゥウェ伯ニベルングと結婚

脚注

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  1. ^ Vita Gerardi abbatis Broniensis; hrsg. Lothar von Heinemann in MGH SS 15.2 (1881), p. 666 (Raginero Hainoensi comite) und MGH DD O I, p. 432, Nr. 318 (Regennario…in pago Hainau)
  2. ^ Flodoard von Reims, Annales, chronica et historiae aevi Saxonici, hrsg. von Georg Heinrich Pertz in MGH SS 3 (1839), p. 373
  3. ^ Detlev Schwennicke: Europäische Stammtafeln Neue Folge, Band I, Verlag J. A. Stargardt, Marburg 1980, Tafel 153.

参考文献

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先代
アンゲラン2世?
エノー伯
916/25年 - 932年
次代
レニエ3世