レスター・コール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
レスター・コール
Lester Cole
Lester Cole
1947年
生年月日 (1904-06-19) 1904年6月19日
没年月日 (1985-08-15) 1985年8月15日(81歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコ
職業 脚本家

レスター・コールLester Cole, 1904年6月19日 - 1985年8月15日)は、アメリカ合衆国脚本家である。

生涯[編集]

ニューヨークでポーランドからの亡命ユダヤ人家庭に生まれる[1][2]。父はマルクス主義者で服飾業界の組合主催者であり、レスター自身も幼少期より社会主義者であった[3]

キャリア初期は俳優であったが、すぐに脚本家に転身する。初の仕事は『百萬圓貰ったら英語版』(1932年)であった。1933年にジョン・ハワード・ローソン英語版サミュエル・オーニッツと共に全米脚本家組合を結成した。

1934年にアメリカ共産党に入党した。やがてハリウッド・テンの1人に数えられた彼は下院非米活動委員会に召喚され、共産党員であるか否かを問われた際に証言を拒否した。コールは議会侮辱罪英語版で有罪となり、1000ドルの罰金とコネチカット州ダンベリーの連邦矯正施設での12か月間の拘留が宣告され、10か月間服役した。

証言拒否を受けて、彼はスタジオからブラックリストに入れられた。1932年から1947年までに40本以上の脚本が映画化されたが[4]、ブラックリスト入り後の劇場映画はわずか3本にとどまり、すべて偽名でのクレジットだった。

1981年、自伝『Hollywood Red: The Autobiography of Lester Cole』が出版された。

1985年、カリフォルニア州サンフランシスコで心臓発作により亡くなった。ニューヨーク市立大学の史学の名誉教授であるロナルド・ラドッシュ英語版はコールが死ぬまで「ハードコア・コミュニスト」であり続けたと評した[5]

主なフィルモグラフィ[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]