レオ・フェレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Léo Ferré
Radio Libertaire 10 ans Léo Ferré 3.jpg
1991年撮影
基本情報
生誕 (1916-08-24) 1916年8月24日
モナコの旗 モナコ モンテカルロ
死没 (1993-07-14) 1993年7月14日(76歳没)
イタリアの旗 イタリア カステッリーナ・イン・キアンティ
ジャンル シャンソン
クラシック
スポークン・ワード
職業 詩人
音楽家
シンガーソングライター
ピアニスト
作曲家
編曲家
指揮者
担当楽器 Piano
活動期間 1946–1991
レーベル Le Chant du Monde
オデオン・レコード
バークレー・レコード
CBS
RCA
EPM
La Mémoire et la Mer
公式サイト leo-ferre.com (フランス語)

レオ・フェレLéo Ferré1916年8月24日1993年7月14日)は、フランス出身の音楽家ボードレールヴェルレーヌランボーアポリネールらのに作曲した功績が知られる。 また、自身が作詞・作曲した代表曲として、「パリ・カナイユ(Paris Canaille)」がある。

生涯[編集]

誕生[編集]

1916年、モナコで生まれる。子供の頃はモナコの隣国イタリアで教育を受けた。1935年法律を学ぶためパリに移り、法学士称号を取得。1939年、モナコへ戻り作曲法を学んだ。1943年、最初の妻オデットと結婚。

音楽活動を開始[編集]

第二次世界大戦終結後、エディット・ピアフの勧めで自作曲を歌い始めたが、シュルレアリスムから影響を受けて成立した彼の個性的な歌詞は聴衆に受けなかった。

1947年、生活費を稼ぐため音楽出版社Le Chant du Monde社」と契約。この音楽出版社はレコード会社も運営していたが、同社と契約した1947年から1953年までの間にアルバムを一枚も作ることなく契約は終了。

1950年、オデットと離婚。1952年にマドレーヌ(Madeleine Rabereau)と結婚した。

オデオン・レコード時代[編集]

1953年4月オデオン・レコードに所属し、スタジオで録音を開始した。同年4月アポリネールの詩に曲を付けた「ミラボー橋(Le Pont Mirabeau)」を発表。この曲は、のちに彼の代表曲の一つとなったほか、彼が「シャンソン・リテレール(文学的シャンソン)」の巨匠と呼ばれるきっかけともなった。

同年、自身が作詞作曲した「パリ・カナイユ(Paris Canaille)」が、カトリーヌ・ソヴァージュの歌唱によりヒット[1]。そのヒットにあやかり、1955年にはこの曲を主題歌にした映画が制作され、レオ・フェレの名が知れ渡るようになった。

同年10月、前の契約先であった「Le Chant du Monde社」が、「契約満了条件を達成していない」ことを理由に、フェレに対してアルバムの制作を要求。1953年10月27日10月31日11月17日にレコーディングを行い、「Chansons de Léo Ferré」をLe Chant du Monde社から発表した。

1957年ボードレールの詩に曲を付けた楽曲を収録したアルバム「Les Fleurs du mal」をオデオン・レコードから発表。

1958年、オデオン・レコードとの契約が終了。その後しばらくレコード会社と契約することはなかったが、映画「Douze heures d'horloge」の音楽を担当するなど、音楽活動を積極的に行った。

バークレー・レコード時代[編集]

1960年、当時ダリダアンリ・サルヴァドールシャルル・アズナヴールらが所属し、フランス国内で急成長を遂げていたレコード会社「バークレー・レコード」と契約。

アナーキストを自認していたフェレは、1968年に起こったパリ五月革命に触発され、アルバム「L'Été 68」を発表。「犬」などの反体制的な曲を作詞作曲し、五月革命に参加していた青年達から圧倒的な支持を受けた。

バークレー・レコード移籍後7枚目のアルバム「Cette chanson」を発表した際、エディット・ピアフを皮肉った曲「À une chanteuse morte」という曲も収録されるはずだったが、バークレー・レコード側の一方的な判断により、別の曲に差し替えられて発売された。フェレ側はこれを不当として提訴した事件もあった(最終的にフェレ側が敗れた)が、バークレー・レコードとの契約は、その後も1974年まで続いた。

1970年代以降[編集]

1976年秋から1977年1979年にかけてRAI国立交響楽団と共演したアルバムを複数枚発表。

1982年にはベートーヴェンの「エグモント」序曲に歌詞を付けた。

1987年には、フランスドイツオーストリアイタリアベルギーカナダ日本でコンサートを行うツアーを開始した。

1991年アルテュール・ランボーの没後百周年を記念してアルバム「Une saison en enfer(地獄の季節)」を発表。 1993年パリ祭(7月14日)に没した。

ディスコグラフィ[編集]

fr:Discographie de Léo Ferréを参照

出典[編集]

  1. ^ 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)