レオポルト4世 (オーストリア公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
レオポルト4世
Leopold IV.
オーストリア公
Leopold IV.jpg
在位 1386年 - 1396年1406年 - 1411年

称号 チロル伯
出生 1371年
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリア帝国の旗 オーストリア公国ウィーン
死去 1411年6月3日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリア帝国の旗 オーストリア公国ウィーン
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリア帝国の旗 オーストリア公国シュテファン大聖堂
配偶者 カトリーヌ・ド・ブルゴーニュ
家名 ハプスブルク家
父親 オーストリア公レオポルト3世
母親 ヴェルデ・ヴィスコンティ
テンプレートを表示

レオポルト4世Leopold IV. von Österreich, 1371年 - 1411年6月3日)は、ハプスブルク家レオポルト系のオーストリア公(在位:1386年 - 1396年1406年 - 1411年)、チロル伯(在位:1396年 - 1406年)。1406年よりオーストリア公国の執政の地位にあった。肥満公(Leopold der Dicke)の呼び名がある。

生涯[編集]

オーストリア、シュタイアーマルク、ケルンテンの公爵レオポルト3世と、ミラノの僭主ベルナボ・ヴィスコンティの娘ヴェルデの間の次男として生まれた。1386年から1396年までオーストリア公であり、1396年から1406年の間は、ホーレンブルク協定(Vertrag von Hollenburg)によって兄ヴィルヘルムが従兄のアルブレヒト4世と共同でオーストリア執政となったため、レオポルト4世はチロルと前方オーストリアを統治した。

1406年から1411年までは、幼い従甥アルブレヒト5世(後のローマ王アルブレヒト2世)とともにオーストリア執政を務めた。チロルと前方オーストリアの執政は弟のフリードリヒ4世に譲られた。レオポルトは1393年、ブルゴーニュ公フィリップ2世(豪胆公)の娘カトリーヌと結婚したが、間に子供は無かった。

レオポルト4世の死後、アルブレヒト系の当主アルブレヒト5世が単独でオーストリア公の地位を保持し、ウィーン宮廷を代表した。レオポルト系に属するレオポルト4世の2人の弟たちは、内オーストリアと前方オーストリアの一部を割り当てられるに留まった。エルンスト(鉄公)はグラーツに、フリードリヒ4世はインスブルックに宮廷を置いた。

参考文献[編集]

  • Franz von Krones (1883), "Leopold IV. (Herzog von Österreich, Steiermark, Kärnten und Krain)", Allgemeine Deutsche Biographie (ADB) (ドイツ語), 18, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 395–398
先代:
レオポルト3世
前方オーストリア公
1386年 - 1411年
次代:
フリードリヒ4世