レオノール・デ・カスティーリャ・イ・ポルトゥガル

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レオノール・デ・カスティーリャ
Leonor de Castilla
アラゴン王妃
Eleonor de Castilla 1330.jpg
王妃レオノールのシール
出生 1307年
死去 1359年
配偶者 アラゴンアルフォンソ4世
子女 フェルナンド
フアン
父親 カスティーリャ=レオンフェルナンド4世
母親 コンスタンサ・デ・ポルトゥガル
宗教 ローマ・カトリック
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レオノール・デ・カスティーリャLeonor de Castilla y Portugal, 1307年 - 1359年)は、カスティーリャ=レオン国フェルナンド4世と王妃コンスタンサ・デ・ポルトゥガルの長女。アラゴン国王アルフォンソ4世の王妃。甥のカスティーリャ国王ペドロ1世によって殺害された。

生涯[編集]

もともとはアルフォンソ4世の兄ハイメと結婚する予定であったが、ハイメは修道士となり王位継承を放棄、結婚は成立しなかった。1329年にアラゴン国王アルフォンソ4世の後妻となり、フェルナンド(1329年 - 1363年)とフアン(1330年 - 1358年)を儲けた。夫アルフォンソの死後、前妻テレサ・デ・エンテンサの子であるペドロ4世が即位し、レオノールは息子たちを連れてカスティーリャへ帰国した。レオノールはしばしば国政に介入し、弟のカスティーリャ国王アルフォンソ11世の息子である甥のペドロ1世と対立した。

1358年6月12日、次男フアンがペドロ1世によって殺害された。1年後、レオノール自身もペドロ1世の命令で暗殺された。4年後、長男のフェルナンドも異母兄ペドロ4世によって処刑された。

参考文献[編集]

  • 田澤耕 『物語 カタルーニャの歴史』 中央公論新社、2000年