ルーファス・スティール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Rufus Steele
ルーファス・スティール
生年月日 1877年
没年月日 1935年12月25日
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ボストン
職業 脚本家映画監督
ジャンル サイレント映画
テンプレートを表示

ルーファス・スティールRufus Steele, 1877年 - 1935年12月25日)は、アメリカ合衆国脚本家映画監督である[1]

人物・来歴[編集]

1877年(明治10年)に生まれる[1]。生地は不詳[1]

前歴不詳、満38歳を迎える1915年(大正4年)、パラマウント映画配給のサイレント映画 Rule G にストーリーを提供しているのが映画史に残る最初の記録である[1]。同年にユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)が設立した子会社・ブルーバード映画が製作したグレイス・カーライル主演のサイレント映画 The Eagle's Wing にストーリーを提供、ロバート・Z・レナードとともに共同監督として名を連ねている[1]。同作は、多くの作品が日本公開されたブルーバード映画のなかの数少ない日本未公開作である[2]。翌1917年(大正6年)、ヴァイタグラフ・カンパニー・オヴ・アメリカ(ヴァイタグラフ・スタジオ)が製作したメアリー・アンダーソン主演、ウィリアム・ウォルバート監督のサイレント映画 The Divorcee にストーリーを提供した[1]

ルーサー・リードヘイル・ハミルトンが執筆、1921年(大正10年)初演の戯曲 Dear Me を映画向けに翻案、1923年(大正12年)、ケンマ・コーポレーション製作、パラマウント映画配給、マッジ・ケネディ主演、ヘンリー・コルカー監督のサイレント映画 The Purple Highway として発表[1]、同作は日本でも『紫雲の彼方へ』のタイトルで公開されている[3]

1935年(昭和10年)12月25日マサチューセッツ州ボストンで死去した[1]。満57-58歳没。

おもなフィルモグラフィ[編集]

関連事項[編集]

[編集]

  1. ^ a b c d e f g h Rufus Steele, Internet Movie Database (英語), 2010年5月11日閲覧。
  2. ^ 『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.60-63.
  3. ^ 紫雲の彼方へキネマ旬報映画データベース、2010年5月11日閲覧。

外部リンク[編集]