ルース・ストンハウス

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Ruth Stonehouse
ルース・ストンハウス
ルース・ストンハウス
1920年ころ
生年月日 (1892-09-28) 1892年9月28日
没年月日 (1941-05-12) 1941年5月12日(48歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 コロラド州デンバー
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッド
職業 女優映画監督脚本家経営者
ジャンル サイレント映画
活動期間 1900年 - 1928年
配偶者 ジョゼフ・アンソニー・ローチ 離婚
フェリックス・フューズ 死別
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ルース・ストンハウスRuth Stonehouse, 1892年9月28日 - 1941年5月12日)は、アメリカ合衆国女優映画監督脚本家経営者である[1]

人物・来歴[編集]

1892年(明治25年)9月28日コロラド州デンバーに生まれる[1]。8歳のころには、アリゾナ州ダグラスで子役ダンサーとして舞台に上がっている[1]

「ブロンコ・ビリー」として知られるギルバート・M・アンダーソンらとともにシカゴのエッサネイ・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニー(エッサネイ・スタジオ)の設立に経営者のひとりとして参加している[1]。女優として、記録に残る最初の出演作は、1911年(明治44年)7月25日公開、E・メイソン・ホッパー監督の Mr. Wise, Investigator である[1]

1914年(大正3年)、6歳年長の脚本家ジョゼフ・アンソニー・ローチと結婚する[1]

1916年(大正5年)、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に移籍する[1]。同年にユニヴァーサル傘下に設立されたブルーバード映画で、同年、ウィリアム・ウォーシントンが監督し、ドロシー・クラークの成長後の女性を演じた『死の舞踏』に出演、1917年(大正6年)にはレイモンド・ウェルス監督の『美人の犯罪』で主演[1]、いずれも日本でも公開されている[2]。同年2月15日公開、ユニヴァーサル傘下のヴィクター・スタジオ製作の短篇映画 Dorothy Dares で監督業に進出する[1]。1919年(大正8年)、10作目の監督作 Rosalind at Redgate を最後に監督業から撤退、以降女優業に専念する[1]。同年、ユニヴァーサルを去った[1]

時期は不明であるがローチとは離婚し、1927年(昭和2年)10月1日、ルパート・ヒューズの弟フェリックス・フューズと再婚する[1]。1928年(昭和3年)6月5日公開、ウィルフレッド・ノーイ監督の The Devil's Cageポーリン・ギャロンと共演したのを最後に、トーキーに1作も出演せずに、満29歳で映画界を引退した[1]

1941年(昭和16年)5月12日カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッド脳内出血により死去した[1]。満48歳没。同州グレンデールにあるフォレスト・ローン・メモリアル・パークに眠る[3]

おもなフィルモグラフィ[編集]

特筆以外はすべて出演作である[1]。1916年以前の作品は約120作の出演作がある[1]がおもなものに留めた。

1910年代[編集]

1916年のプレイング・カード。
1916年のプレイング・カードその2。

1920年代[編集]

関連事項[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Ruth Stonehouse, Internet Movie Database (英語), 2010年6月5日閲覧。
  2. ^ 『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.60-63.
  3. ^ Ruth Stonehouse, Find A Grave (英語), 2010年6月5日閲覧。

外部リンク[編集]