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ルベンス・フェルナンド・モエディム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルビーニョ
名前
本名 ルベンス・フェルナンド・モエディム
Rubens Fernando Moedim
ラテン文字 Rubinho
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1982-08-04) 1982年8月4日(44歳)
出身地 サンパウロ
身長 186cm
体重 84kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
2000 ブラジルの旗 コリンチャンス
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
2001-2005 ブラジルの旗 コリンチャンス 34 (0)
2004-2005 →イタリアの旗 ヴェローナ (loan) 0 (0)
2005-2006 ポルトガルの旗 ヴィトーリア・セトゥーバル 12 (0)
2006-2009 イタリアの旗 ジェノア 96 (0)
2009-2011 イタリアの旗 パレルモ 6 (0)
2010 →イタリアの旗 リヴォルノ (loan) 11 (0)
2010-2011 →イタリアの旗 トリノ (loan) 25 (0)
2012-2016 イタリアの旗 ユヴェントス 2 (0)
2016-2017 イタリアの旗 コモ 0 (0)
2017 イタリアの旗 ジェノア 2 (0)
2018 ブラジルの旗 アヴァイ 0 (0)
代表歴
2000-2003 ブラジルの旗 ブラジル U-20 19 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

ルビーニョ (Rubinho) こと、ルベンス・フェルナンド・モエディム(Rubens Fernando Moedim, 1983年8月4日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはGK。

インテル・ミラノやバイエル・レヴァークーゼンなどに所属していたMFゼ・エリアスは実兄。

経歴

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ブラジルの名門SCコリンチャンス・パウリスタにてキャリアをスタートさせ、セリエBのエラス・ヴェローナFCにレンタル移籍。2005年、ポルトガルのヴィトーリア・セトゥーバルに移籍。

2006年にセリエAの古豪・ジェノアCFCへ移籍。アレッシオ・スカルピから定位置を奪うと、鋭い反応と抜群の安定感でクラブのセリエA昇格に貢献、自身の評価を高めた。

2009年8月5日、ジェノア残留を拒否したためマルコ・アメリアとのトレードでUSチッタ・ディ・パレルモへ移籍した。しかし若いサルヴァトーレ・シリグにポジションを奪われ、2010年2月1日にフランチェスコ・ベヌッシとのトレードでASリヴォルノ・カルチョへレンタル移籍。8月31日にはトリノFCへレンタル移籍した。シーズン終了後パレルモに復帰したが、再編を進めるクラブにあってトップクラスの給与を受け取っていたため戦力外の扱いを受ける。他クラブへの移籍を拒否し残留したが状況は変わらず、12月16日に双方合意のもと契約を解除した[1]。

2012年8月29日、アレクサンダー・マンニンガーの退団で第3GKを探していたユヴェントスFCと1年契約を結んだ[2]。2016年7月1日、契約満了に伴い退団した。

新シーズンは無所属の状態で迎えたが、12月14日にディアマンテ・クリスピーノ(英語版)が負傷離脱していたカルチョ・コモへ加入[3]。1か月後の翌月14日、マッティア・ペリンが前十字靭帯を断裂したジェノアに急遽復帰した[4]。

シーズン終了に伴いイタリアを去ると、2018年1月よりアヴァイFCへ加入し12年振りに母国へ復帰した[5]。

タイトル

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ユヴェントス

脚注

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  1. ↑ FORMALIZZATA LA RESCISSIONE DI RUBINHO Palermocalcio.it
  2. ↑ Rubinho signs for Juventus Juventus.com 2012年8月29日
  3. ↑ “元ユベントスGKルビーニョがセリエC1のコモへ移籍”. 超ワールドサッカー (2016年12月15日). 2018年4月22日閲覧。
  4. ↑ “ペリン負傷のジェノアが元ユベントスGKルビーニョを緊急獲得”. 超ワールドサッカー (2017年1月14日). 2018年4月22日閲覧。
  5. ↑ “Rubinho busca recomeço pelo Avaí após 12 anos na Itália”. Diário Catarinense (2018年1月10日). 2018年4月22日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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