ルネ2世 (ロレーヌ公)

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ロレーヌ公ルネ2世

ルネ2世(René II, 1451年5月2日 - 1508年12月10日)は、ロレーヌ公(在位:1473年 - 1508年)、バル公(在位:1483年 - 1508年)、ヴォーデモン伯(在位:1470年 - 1508年)。1480年から1493年まではカラブリア公として、1493年以降はナポリ王およびエルサレム王として、ナポリ王国プロヴァンス伯領の、外祖父ルネ1世(ナポリ王)以来の継承権を要求していた。また、父方の叔父ジャン英語版からアルクール伯およびオマール伯を継承した。1504年にはルネ1世の称号の1つであったギーズ伯を獲得した。

生涯[編集]

ルネ2世は、ロレーヌ公ジャン1世の曾孫であるヴォーデモン伯 フェリー2世(1420年 - 1470年)と、ナポリ王ルネ1世およびロレーヌ女公イザベルの娘ヨランド・ダンジュー(同じくジャン1世の曾孫)の子としてアンジェで生まれた。

父のヴォーデモン伯は1470年に死去し、1473年に母方の従兄のロレーヌ公ニコラ・ダンジュー(ジャン2世の子)が嗣子なくして死去すると母ヨランドが相続した。しかし、その年内に長男ルネへ権限を譲って政治から身を引いた。こうして、ルネ2世は父母双方の血筋に基づいてロレーヌ公国・ヴォーデモン伯を相続した。

領土拡大を狙うブルゴーニュ公シャルル軽率公と激突、1477年スイス傭兵の力を借りてナンシーの戦いで軽率公を討ち取った(ブルゴーニュ戦争)。

1508年に死去した。彼の成人した息子達は、アントワーヌはロレーヌ公を、クロードは後にフランスからギーズ公を、ヴェルダン司教ルイヴォーデモン伯をそれぞれ引き継いで分家し、結果的に一般の地方領主以上に子孫は繁栄して現在のヨーロッパでも無視できない勢力となるきっかけになった。

子女[編集]

ナンシーを解放するルネ2世、1476年

1471年、ルネ2世はジャンヌ・ダルクールと結婚したが、1485年結婚は無効とされた。

1485年、ゲルデルン公アドルフの娘フィリッパと結婚した。2人の間には12人の子女が生まれた。

  • シャルル(1486年生、夭折)
  • フランソワ(1487年)
  • アントワーヌ(1489年 - 1544年) - ロレーヌ公
  • アンヌ(1490年 - 1491年)
  • ニコラ(1493年生、夭折)
  • イザベル(1494年 - 1508年)
  • クロード(1496年 - 1550年) - ギーズ公
  • ジャン(1498年 - 1550年) - 枢機卿、トゥールメスヴェルダン司教
  • ルイ(1500年 - 1528年) - ヴェルダン司教、ヴォーデモン伯
  • クロード(1502年生、カトリーヌの双子の姉、夭折)
  • カトリーヌ(1502年生、クロードの双子の妹、夭折)
  • フランソワ(1506年 - 1525年) - ランバス伯、パヴィアの戦いで戦死
先代
ヨランド
ロレーヌ公
1473年 - 1508年
次代
アントワーヌ
先代
ヨランド
バル公
1483年 - 1508年
次代
アントワーヌ
先代
フェリー2世
ヴォーデモン伯
1470年 - 1508年
次代
ルイ
先代
ジャン英語版
オマール伯
1473年 - 1508年
次代
クロード