ルドルフ・ヘルンレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バウアー写本(1897年)

アウグスト・フリードリヒ・ルドルフ・ヘルンレ(August Friedrich Rudolf Hoernle、1841年11月14日 - 1918年11月12日)は、イギリスインド学者中央アジアの古文書の解読で知られる。ホータン語の初期の解読者でもあったが、その功績は長い間忘れられていた[1]

英語式の綴りでは「Augustus Frederic Rudolf Hoernle」[2]

共産主義者のエドウィン・ヘルンレドイツ語版は甥[3]

生涯[編集]

ヘルンレは、インドのアーグラのシカンドラーに生まれた。父のクリスチャン・テオフィルス・ヘルンレはルートヴィヒスブルク生まれのドイツ系[4]、はじめバーゼル伝道会にはいって[5]ペルシアに赴任したが、その後英国聖公会宣教協会 (CMS) によってアーグラに派遣された[6]

ヘルンレは7歳のときからドイツで教育を受け、スイスバーゼル大学で神学を学んだ後、1860年にロンドンへ渡った。1864年から翌年にかけて、ロンドン大学テーオドール・ゴルトシュテュッカーサンスクリットを学んだ[3]

1865年に英国聖公会宣教協会によってインドのメーラトに宣教師として派遣されたが、本人の願いによって1869年にベナレスの大学 (Jay Narayan's College) でサンスクリットと哲学の教授に就任した。1872年にテュービンゲン大学の博士の学位を得た。

1874年にいったんイギリスに戻り、1877年に結婚した。翌年再びインドに渡り、カルカッタのカテドラル・ミッション・カレッジ(CMSの大学)の校長を経て、1881年からカルカッタ・マドラサ(現アーリヤー大学)の校長をつとめた。1897年にインド帝国勲章(CIE)を授けられた[7]。1899年に退官し(後任はオーレル・スタイン[8])、帰国してオックスフォードに住んだ。1918年にインフルエンザによって死亡した[3]

業績[編集]

ヘルンレは、英印軍のハミルトン・バウアー中尉がクチャ近辺で入手した樺皮写本を調査し、1891年にそれが5世紀のサンスクリット文書であることを明らかにした[9][10]。この報告は大きな反響を呼び、中央アジア探検ブームの引き金になった[7]。ヘルンレ自身の名声もあがり、インド植民政府は得られた写本をヘルンレに送るよう指示した[11]。これらの写本は現在大英図書館にあり、ヘルンレ・コレクションの名で知られる[12]。文書はサンスクリットホータン語トカラ語古ウイグル語ペルシア語中国語のものを含む[13]

スタインの探検計画にヘルンレは大いに喜び、インド当局がスタインを支援するように働きかけた[14]。スタインが発見したものはイギリスに送られ、まずヘルンレが整理してから大英博物館に収められた[15]

中央アジアからもたらされた写本の報告書は1916年に第1巻が出版されたが、著者の死によって中断された。

偽作問題[編集]

ヘルンレのもとに送られてきた文書の中には偽作もあった。悪名高いのはホータンのイスラム・アフーン英語版による偽作で、ヘルンレはこれらの文書を読めなかったが、まじめに論文で取りあげた[16]。後にスタインがイスラム・アフーンを直接訊問して、偽作であることを明らかにしたが、この事件はヘルンレの名声を傷つけた[17]

主な著書[編集]

大谷大学ヘルンレ文庫[編集]

1920年、仏教学・サンスクリット学者泉芳璟(1884-1947)が、イギリスのケンブリッジ市の書店でヘーンル旧蔵の仏教、医学、言語、文学に関する431冊の書籍を発見した。そのほとんどはインドで出版されたものである。これは現在、大谷大学の図書館に保管されている。このコレクションは、現在、大谷大学の図書館に保管されている。

脚注[編集]

  1. ^ Sims-Williams (2012a)
  2. ^ a b Grierson (1919) p.114
  3. ^ a b c Sims-Williams (2012b) p.1
  4. ^ Hoernle, J.F.D. (1884) p.1
  5. ^ Hoernle, J.F.D. (1884) p.20
  6. ^ Hoernle, J.F.D. (1884) p.69-70
  7. ^ a b Grierson (1919) p.117
  8. ^ Sims-Williams (2012b) p.3
  9. ^ “Birch Bark MS. from Kashgaria”. Proceedings of the Asiatic Society of Bengal (Apr. 1991): 54-65. (1892). https://books.google.com/books?id=eNFAAQAAMAAJ&pg=PA54. 
  10. ^ 貴重書で綴るシルクロード』ディジタル・シルクロード(国立情報学研究所)http://dsr.nii.ac.jp/rarebook/09/ 
  11. ^ 小島(2014) p.18
  12. ^ イギリス コレクション』国際敦煌プロジェクト: シルクロード オンラインhttp://idp.afc.ryukoku.ac.jp/pages/collections_en.a4d 
  13. ^ Sims-Williams (2012b) p.2
  14. ^ Sims-Williams (2012b) pp.2-3
  15. ^ Sims-Williams (2012b) pp.4-5
  16. ^ “Three further Collections of Ancient Manuscripts from Central Asia”. Journal of the Asiatic Society of Bengal 66/I: 213-260. (1897). https://books.google.com/books?id=hunRAAAAMAAJ&pg=PA213. 
  17. ^ イスラム・アフーンについては以下を参照:スタファン・ローゼン 著「スウェン・ヘディンコレクションにおける偽造サカ文書」、冨谷至 編『流沙出土の文字資料:楼蘭・尼雅出土文書を中心に』京都大学学術出版会、2001年。ISBN 4876984182 

参考文献[編集]