ルッケーゼ一家

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ルッケーゼ一家の現在のボス、スティーブン・クレーア(1992年撮影)

ルッケーゼ一家(―いっか、Lucchese crime family)は、アメリカ合衆国ニューヨークマフィア(コーサ・ノストラ)の犯罪組織の一つである。

初期[編集]

1890年代シチリア島コルレオーネから移住したモレロ一家マンハッタンイースト・ハーレムでマフィア組織を作り、1905年頃最盛期を迎えた。1910年代中頃、モレロ一家がカモッラとの抗争(マフィア-カモッラ戦争)で劣勢を強いられて本拠をハーレム106-108丁目からハーレム116-117丁目に移した時、106-108丁目に権力の空白が生まれ、モレロと同じコルレオーネ出身のガエタノ・レイナが頭角を現した。1920年代にかけてブロンクスに縄張りを広げるなど独自のマフィアファミリーを形成した[1]。初期のメンバーにトミー・ガリアーノ、スティーヴ・ラサール[注釈 1]、ラオ兄弟、ジオヴァンニ・ディカルロ、トーマス・ルッケーゼなどがいた。メンバーはほとんどコルレオーネ出身で、ハーレムのイタリア系スラム街におけるシチリア・コロニーのさらに細分化されたコルレオーネ・コロニーの中で形成された地縁性の強い集団だった。シチリア各地のマフィア派閥を広く取り込んだモレロ一家とは対照的だった。 モレロ一家メンバーだったが、一家がハーレム北に移動したときに付いて行かずレイナ組織に合流したメンバーが数多くいた(ラサール、ディカルロなど)。

禁酒法時代[編集]

ファミリーの上位陣はイタリア式富くじやナンバーズ賭博、氷配給業を営み、特にレイナは氷のマーケットに寡占体制を敷き、ガリアーノは本業の左官業を足掛かりに建設業界に進出した。禁酒法時代が到来すると、多くのメンバーが非合法のアルコール取引に関わった。ガリアーノは酒場を経営し、ルッケーゼはドライフルーツに酒を隠す密輸入ビジネスで儲けた[1]

カステランマレーゼ戦争と五大ファミリー[編集]

レイナは1920年代ジョー・マッセリアと同盟関係にあったが、1930年2月、ブロンクスの路上でヒットマンにショットガンで急襲され死亡した。一説に、マッセリアに氷供給業のシェアの割譲を求められ、抵抗したため殺されたとの説がある(マッセリアと対立していたカステラマレ派と駆け引きしようとしたとも伝えられたが、真偽不明)。ガリアーノはマッセリアの仕業と見たが、強大なマッセリア軍団と戦うだけの戦力が無かった為、すぐに報復せず機会を窺った。マッセリアは後釜ボスにボナヴェントゥーラ・ピンツォーロを据えて間接支配したが、ガリアーノやルッケーゼは他の一家メンバーと同様に表面上これに従う振りをした。

1930年8月、マッセリアの参謀ジュゼッペ・モレロが2人のガンマンに自宅に押し入られて暗殺された時、ガリアーノはマッセリアと対立する派閥が他にあることを知り、部下の接触でカステラマレ勢力と判明すると、これに接近した。

同年9月、カステラマレ派ボスのサルヴァトーレ・マランツァーノから支持を取り付けた上で、配下の殺し屋を使ってピンツォーロを暗殺し、組織を奪い返した[2]。マッセリアはピンツォーロが殺された後すぐ犯人捜しの会議を開いたが、ガリアーノはその会議に平然と参加した[注釈 2]。その後、ガリアーノらは対マッセリア抗争のための戦闘資金を拠出し、マランツァーノと合同のヒットマンチーム[注釈 3]を作ってマッセリア派幹部を狙った。1931年11月、マッセリアがしばしば会議に使っていたアジトを突き止め、モレロの死後マッセリアの参謀になっていたアル・ミネオを暗殺することに成功した。ミネオ暗殺とマランツァーノの反マッセリアキャンペーンが功を奏し、マッセリアから離反するマフィアグループが相次いでその戦力は弱体化していった。

1931年4月、マッセリアが部下の裏切りにより暗殺され、マランツァーノがニューヨーク・マフィアを五大ファミリーに再編成した際、五大ファミリーの1つに認定された。同年9月にマランツァーノを殺したルチアーノからも五大ファミリーに認定された。ボスはガリアーノ、副ボスはルッケーゼとなった。

ホワイトカラー・マフィア[編集]

ガリアーノは建設業界に地歩を築き、組合を通じて建設資材の流通や不正な取引に関わった。1930年代半ば、ユダヤ系ギャングのルイス・バカルターと提携し、ガーメント地区の組合に進出を果たした。ジェームス・'ジミードイル'・プルメリやジョン・ディオガルディ(ジョニー・ディオ)らのメンバーがこの方面に深く関わった。1951年ガリアーノが死んだが、当局の注目を浴びるのを嫌ってしばらくボスの死を隠匿していた。後継ボスとなったトーマス・(三本指のブラウン)・ルッケーゼは、繊維産業、運輸業界などに支配力を強めた[3]。一家の名前はこのルッケーゼに由来する。

ルッケーゼは、フランク・コステロと並んで政界に強力なコネを持ち、連邦検事、ニューヨーク市長、警察署長などと結びついていた[4][5]。 ファミリー内では、ヴィンセント・ラオやジョニー・ディオ、アンソニー・コラーロらビジネスセンスと暴力を兼ね備えた人物を重用した。ヤミ賭博や売春といった伝統的なストリート犯罪より、組合、企業強請や金融犯罪などの「ホワイトカラー犯罪」に特徴があり、五大ファミリーの中では最小の組織ながら高収益を誇った[5]。またメンバーの中には麻薬取引に長らく関わる者もいて、1950年代は幹部クラスも麻薬取引に関わった。

ニューヨークの覇権争い[編集]

1950年代後半、ルッケーゼは、ヴィト・ジェノヴェーゼと組んでニューヨーク・マフィア最大の実力者コステロの追い落としに加担した。更にカルロ・ガンビーノアナスタシア一家のボスにつけた上でガンビーノと姻戚関係を結び連携を強化した[6]ボナンノ一家のボスのジョゼフ・ボナンノプロファチ一家のボスのジョセフ・マリオッコによるニューヨーク・マフィア掌握の陰謀を未然に阻止し、ガンビーノと共にニューヨークを実質的に支配した[7]

ルッケーゼ死後[編集]

ルッケーゼは1960年代後半に病床に伏すようになり、ガンビーノ主導のコミッションで後継ボス人事が取りざたされた。1967年ルッケーゼが死ぬと、カーマイン・トラムンティアンソニー・コラーロがボスとなり、麻薬取引にも手を染めた[8]。 

1978年ポール・ヴァリオ配下のジミー・バークトーマス・デシモーネなどがルフトハンザ航空強奪事件を引き起こす。その後、同じくヴァリオ配下のヘンリー・ヒルが情報提供者となったことで、バーク、ヴァリオら関係者が多数逮捕された。この事件は『グッドフェローズ』として小説・映画化された。

1986年には獄中のコラーロが指名した人物を殺害してヴィットーリオ・アムーソがボスの座を奪った。アムーソは腹心のアンソニー・"ガスパイプ"・カッソと共にガンビーノ一家のボスの座を奪ったジョン・ゴッティに反発してフランク・デチッコら側近を殺害する。このためゴッティは話し合いの末に何とか関係修復に成功した。その後、カッソはボスの座を奪おうとして失敗し、証人保護プログラムの保護下に入ることとなった。2005年にはマフィア捜査を行っていたニューヨーク市警の元警官ルイス・エッポリトとスティーブン・カラカッパ英語版が警官時代にルッケーゼ一家のヒットマンとしてゴッティの部下らの暗殺を実行していたことが判明して逮捕され、一大スキャンダルとなった。彼ら二人は翌2006年に共に終身刑の判決を受けた。

その他、ポール・カステラーノと仲が良かったサルヴァトーレ・"トム・ミックス"・サントロジョニー・ディオなどが有名。

2012年現在のボス代行はスティーブン・クレーアである。

歴代のボス[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

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  1. ^ 元モレロ一家でテラノヴァ3兄弟と共にカモッラと抗争したが、カモッラが自滅する前にルッケーゼ一家に合流した。
  2. ^ ピンツォーロが殺されたアジトのフルーツ貿易会社の事務所はルッケーゼの名義だったため、ルッケーゼは警察に尋問された(関与を否定した)。
  3. ^ このチームには、当時ルッケーゼ一家のソルジャーで、のち政府密告者となるジョゼフ・ヴァラキがいた。

出典[編集]

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外部リンク[編集]