ルシア・ドス・サントス
ルシア・ドス・サントス | |
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ルシア・ドス・サントス(左)、フランシスコ、ジャシンタ。1917年撮影 | |
尊者 | |
他言語表記 | Lúcia de Jesus dos Santos |
生誕 |
1907年3月22日 ポルトガル王国 ファティマ |
死没 |
2005年2月13日 ポルトガル コインブラ |
ルシア・デ・ジェズス・ドス・サントス(Lúcia de Jesus dos Santos 1907年3月22日-2005年2月13日)は、ポルトガルのファティマにおける聖母出現の目撃者の一人で、カトリックの修道女(カルメル会)。ルシアは3人の目撃者の中で唯一、長命であった。
生涯
[編集]ルシアはカトリック信者である両親のもと、ファティマで生まれる[1]。ルシアが最初に不思議な経験をし始めるのが1915年4月から10月にかけてのことである。友人と一緒に遊んでいるときに天使を幻視する。その後、1917年5月13日の日曜日。従兄妹であるフランシスコ・マルトとジャシンタの兄妹と一緒に羊の番をしているときに3人の前に『聖母』が現れた。その『聖母』は3人の子供たちに予言を残し消えていった。それから毎月13日にかけて聖母は現れた[2]。(ファティマの聖母)
聖母の予言通り、フランシスコは1919年4月4日、ジャシンタは1920年2月20日に流行の病でそれぞれこの世を去る。ルシアはドロテア(Doroteia)修道会に入り、カトリックの修道女となる。1948年、カルメル会に入会する。1981年、教皇ヨハネ・パウロ2世が銃撃され、一命をとりとめたのは、ファティマの聖母の記念日である5月13日であった。回復後、教皇は摘出された弾丸を聖地となったファティマに奉納し、2000年にフランシスコ、ジャシンタ兄妹を列福した。また、ルシアは後年ヨハネ・パウロ2世と会っている。ルシアは2005年2月13日に死去した[3]。
『聖母』が残した予言の中で3つが有名で、1つ目が第一次世界大戦の終結、2つ目がロシア帝国の崩壊と共産主義の台頭、3つ目が「第3の秘密」である。長年の間バチカンによって封印されてきた。2000年6月、教皇庁は教皇ヨハネ・パウロ2世の決定により、ファティマ第3のメッセージを正式に発表した[4]。
死後
[編集]彼女の死後3年が経過して、2008年2月13日には教皇ベネディクト16世が彼女の列福調査の開始を許可した。通常、列福調査は該当者の死後5年経過しないと始まらないが、教皇はルシア修道女に関して特別に免除した。早期列福の調査は前教皇ヨハネ・パウロ2世、マザー・テレサに次ぐものとなる[5]。
2023年6月22日、教皇フランシスコはルシア修道女の英雄的徳を認め、「尊者」の敬称を受ける事を教皇庁列聖省が発表した[6]。
脚注
[編集]- ^ “Irmã Lúcia (1907-2005)”. Agência Ecclesia (2007年3月29日). 2023年6月25日閲覧。
- ^ “Beatos Jacinta Y Francisco Marto, Pastorcitos De Fátima”. Aleteia. 2023年6月25日閲覧。
- ^ “Sister Lúcia dos Santos”. The Guardian (2005年2月16日). 2023年6月23日閲覧。
- ^ カトリック中央協議会 2001, p. 3-6.
- ^ “ISTER LUCIA'S BEATIFICATION PROCESS TO BEGIN”. ZENIT (2008年2月13日). 2023年6月25日閲覧。
- ^ “ファティマの牧童の一人、ルシア修道女、尊者に”. VATICAN NEWS. (2023年6月22日) 2023年6月23日閲覧。
参考文献
[編集]- カトリック中央協議会 著、カトリック中央協議会福音宣教研究室 訳『ファティマ第三の秘密: 教皇庁発表によるファティマ「第三の秘密」に関する最終公文書』カトリック中央協議会、2001年4月。ISBN 4877500952。