ルイーズ・アデライード・ドルレアン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ルイーズ・アデライード・ドルレアン
Louise Adélaïde d'Orléans
Portrait of Louise Adélaide d'Orléans dressed as a pilgrim by an anonymous artist after Jean Baptiste Santerre (Versailles).jpg
ルイーズ・アデライード・ドルレアン、ジャン=バティスト・サンテール画、ヴェルサイユ宮殿

出生 (1698-08-13) 1698年8月13日
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国ヴェルサイユ
死去 1743年2月10/19日(44歳没)
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国パリ
父親 オルレアン公フィリップ2世
母親 フランソワーズ・マリー・ド・ブルボン
テンプレートを表示

ルイーズ・アデライード・ドルレアンMarie Louise Adélaïde d'Orléans, 1698年8月13日 - 1743年2月10日または2月19日?)は、フランスの王族。オルレアン嬢(Mademoiselle d'Orléans)と呼ばれた。

生涯[編集]

オルレアン公フィリップ2世フランソワーズ・マリー・ド・ブルボンの第3子としてヴェルサイユで生まれた。

1719年シェル修道院の女子修道院長となった。ルイーズは音楽、神学、科学に長けており、特に手術に興味を持った。非常にスピリチュアルな人物であったとされる。サン=シモン公爵は、彼女には修道女がいない代わりにドレスがあったと記しており、作家ジャン・ラシーヌの父であるルイ・ラシーヌは彼女の修道院でこう書き残している。

喜び、美しさ、青春期、栄誉、栄光、力

野心的な望みが許され生まれる
子羊の脚たちは 彼女によって犠牲にされた

ルイーズは1743年にパリで亡くなった。