ルイズルイス加部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ルイズルイス加部
出生名 加部正義
生誕 (1948-11-05) 1948年11月5日
死没 (2020-09-26) 2020年9月26日(71歳没)
ジャンル グループ・サウンズ
ロック
職業 ベーシスト
ギタリスト
担当楽器 ベース
ギター
活動期間 1966年 - 2020年
共同作業者 ザ・ゴールデン・カップス
ピンククラウド
公式サイト ZokuZokuKazoku
著名使用楽器
EKO ROKES BASS
フェンダー・ジャズベース
フェンダー・ストラトキャスター
フェンダー・ムスタング

ルイズルイス加部(るいずるいすかべ、1948年11月5日 - 2020年9月26日)は、ベーシストギタリストである。本名は加部 正義(かべ まさよし)。横浜市本牧出身。

経歴[編集]

1966年、後のグループ・サウンズ(GS)ブームにおける重要なバンドの一つとなるザ・ゴールデン・カップス[1]へ参加、加部はベースを担当していたが、1969年5月にエディ藩の脱退によりギターへ転向(加部はカップス参加前はギタリストだった)。なお、カップスの4thシングル『愛する君に』は、オリコン13位のヒットとなっている[2]。1969年末日を以って加部はマモル・マヌー、林恵文と共にカップスを脱退する。

脱退後は1970年に林恵文、ジョン山崎らと「ルーム」というバンドを組むが瞬く間に解散、その後は同年「フード・ブレイン」(陳信輝(ギター)、加部正義(ベース)、角田ヒロドラム)、柳田ヒロオルガン))に参加、同年10月に象のジャケットで有名な「晩餐」をリリースする。

1971年に陳信輝(ギター)、ジョーイ・スミス(ドラム、ボーカル)と「スピード・グルー&シンキ(Speed, Glue & Shinki)」を結成。1973年頃の「スピード〜」解散後はデイヴ平尾柳ジョージアイ高野らと「(ニュー)ゴールデン・カップス」として京都のサパークラブ「ママリンゴ」などで昔の曲を演奏。また、元ザ・ダイナマイツ村八分山口冨士夫と「リゾート」なるバンドを組んでいたこともあった。

ミュージシャンから足を洗いアメリカに住んでいた加部をCharが訪ね、一緒にバンドを組むため熱心に説得。1978年 Char、ジョニー吉長と共にバンド「ジョニー、ルイス&チャー」を結成。後に「ピンククラウド」に名称を変更。武道館公演をできるほどの人気バンドとなったが、1994年に活動停止。

「ピンククラウド」活動停止後は、ソロ・アルバムのリリースや、1996年に再結成された、ロックの巨匠、アラン・メリル (世界的ヒット曲、「アイ・ラヴ・ロックンロール」の作詞作曲パフォーマー) 率いるグラムロック・バンド、 ウォッカ・コリンズへの参加(更に2010年と2017年のアラン・メリル来日コンサートでもベーシストを務め)、「ぞくぞくかぞく」、「布谷文夫 & DEW」など、マイペースの活動を続けていた。2003年にはザ・ゴールデン・カップスの再結成に参加する。

カップス時代から21世紀まで、枠にとらわれない、フリーなプレースタイルを身上としている。特にカップスでの「リードベース」とも言うべき斬新なプレーは、一部日本プレイヤーのフォロワーを生んだ。

特技として加部は、シュールなイラストレーションを得意としており、ジョニー、ルイス&チャー、加部自身のソロアルバムのジャケットなどで、その独特な世界を味わうことができる。

2020年9月26日多臓器不全により横浜市内の病院で死去した[3][4]。71歳没。

所属しているバンド[編集]

  • 「ぞくぞくかぞく」 - 加部正義 (GUITAR)/富岡GRICO義広 (DRUMS)/鈴木享明 (BASS)/手代木TESSHII克仁 (GUITAR)
  • 「グループアンドアイ」 - 加部正義 (GUITAR) /YUKI(VOCAL)/KING-CHANG(GUITAR)/大貫悟(BASS)/湊雅史(DRUMS)

脚注[編集]

  1. ^ 「長い髪の少女」がヒットしたが、メンバーは英語でのR&Bやブルースロックの演奏を強く希望していた
  2. ^ http://music-calendar.jp/2017090101/
  3. ^ ルイズルイス加部さんご逝去”. 2020年9月26日閲覧。
  4. ^ ルイズルイス加部さん死去 ゴールデンカップス - 日刊スポーツ 2020年9月26日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]