リー・シェンロン
| 李顯龍 Lee Hsien Loong | |
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| 生年月日 | 1952年2月10日(66歳) |
| 出生地 | シンガポール |
| 出身校 | トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学) |
| 所属政党 | 人民行動党 |
| 配偶者 |
初婚・黄名揚 再婚・ホー・チン |
| 内閣 |
第1次リー・シェンロン内閣 第2次リー・シェンロン内閣 第3次リー・シェンロン内閣 |
| 在任期間 | 2004年8月12日 - |
| 大統領 |
S・R・ナザン トニー・タン |
| 在任期間 | 2001年 - 2007年12月1日 |
| 首相 | ゴー・チョクトン |
| 内閣 |
第1次ゴー内閣 第2次ゴー内閣 第3次ゴー内閣 |
| 在任期間 | 1990年11月28日 - 2004年8月12日 |
| 首相 | ゴー・チョクトン |
| 在任期間 | 2004年12月 - |
| 選挙区 |
(テック・ギーSMC→) アン・モ・キオGRC |
| 当選回数 | 7回 |
| 在任期間 | 1984年12月22日 - |
李顯龍(り けんりゅう、リー・シェンロン、Lee Hsien Loong、簡体字: 李显龙、繁体字: 李顯龍、1952年2月10日 - )は、シンガポール共和国の政治家。現在、第3代首相、人民行動党書記長。国父リー・クアンユーの息子。客家人。ロシア語、マレー語、華語(標準中国語)、英語が堪能。2002年リンパ腫を発病後、復帰した。
第3代首相就任以降、父と同じく権威主義的政治体制、いわゆる「開発独裁」を体現し、シンガポールのさらなる経済的繁栄を目指している。 趣味は読書、散歩、クラシック音楽鑑賞、パソコン[1]。
| リー・シェンロン | |||||||||||||||||
| 繁体字 | 李顯龍 | ||||||||||||||||
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| 簡体字 | 李显龙 | ||||||||||||||||
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経歴[編集]
- 1952年 リー・クアンユーの長男としてシンガポールに生まれる
- 1965年 リー・クアンユー政権成立( - 1990年)
- 1971年 シンガポール軍入隊
- 1974年 軍の奨学金でケンブリッジ大学卒業、軍に復職
- 1978年 アメリカ陸軍指揮幕僚大学・参謀学科に留学
- 1979年 ハーバード大学行政大学院で修士号取得
- 1981年 国軍統合幕僚運用部長に就任
- 1982年 国軍統合幕僚長に就任
- 1984年
- 6月 シンガポール軍准将に昇進
- 9月 軍辞職、国防大臣秘書
- 12月 国会議員当選
- 1986年
- 11月 人民行動党執行委員就任
- 12月 貿易・工業大臣
- 1990年 ゴー・チョクトン政権副首相( - 2004年)
- 1998年 金融管理局(MAS)長官兼任
- 2001年 財務大臣兼任
- 2004年
- 8月12日 首相兼財務大臣に就任
- 12月 人民行動党書記長に就任
- 2007年
- 12月1日 財務大臣を辞任
内閣 [編集]
第1次(2004年8月12日 - )
- 首相兼財務相:リー・シェンロン
- 副首相兼国家安全保障調整担当相:トニー・タン(陳慶炎)
- 副首相兼法相:S・ジャヤクマール
- 首相府内政顧問:リー・クアンユー
- 上級相兼通貨監督庁議長:ゴー・チョク・トン
- 内政相:ウォン・カン・セン
- 外相:楊栄文准将
- 国防相:張志賢准将
- 交通相:姚照東
- 貿易工商相:林勳強
- ニュース通信及芸術相:李文獻
- 人力相:黄永宏
- 国家発展相:馬寶山
- 環境水源相:ヤーコブ・イブラヒム
- 衛生相:許文遠
- 教育相:T・シャーンムガラトナム
- 社会発展及体育代理相:ヴィヴィアン・バラクリシュナン
- 治安・防衛分野調整担当首相府相:S・ジャヤクマール(2005年9月上任)
- 法相兼内相:S・ジャヤクマール(2008年3月上任)
第2次(2009年4月1日 - )
- 首相:リー・シェンロン
- 副首相兼国防相:テオ・チーヒン
- 上級相兼国家安全保障調整担当相:S・ジャヤクマール
- 人力相:顏金勇
- 首相府相:陳惠華
- ニュース通信及芸術相:呂德耀
家族[編集]
実弟リー・シェンヤン(李顕楊)は元シンガポール・テレコム総裁。
ホー・チン夫人は、政府系投資会社テマセク・ホールディングス(Temasek Holdings)元社長(タイのタクシン・チナワット首相の証券スキャンダル、退任の間接的な要因となったタクシン首相の子息とテマセク・ホールディングの取引が、社長退任の原因との見方がある)。
日本との関係[編集]
2006年、2015年に北海道に家族旅行で訪れており、2013年には休暇で富士山を訪れたという[2]。 小泉純一郎の靖国神社参拝を、「地域で日本の占領を経験した国に悪い記憶を思い起こさせる」と批判し、「戦犯をあがめる対象にすべきではない」と語っている。
2014年には米ワシントンでの講演で、「日本と近隣諸国は第二次世界大戦から脱却しない限り日中韓の関係は損なわれるばかりだ」と主張。この背景として、日本が従軍慰安婦や侵略の歴史に対して曖昧な立場であることを指摘したうえで、自律的に検証報告する必要性を強調した。同時に、中国、韓国に対して「日本に繰り返し謝罪を求める姿勢は辞めるべきだ」と、戦後70年を迎えるにあたり、より建設的な関係修復を望む旨を話している[3]。
脚注[編集]
外部リンク[編集]
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代: ゴー・チョク・トン |
第3代:2004年 - |
次代: (現職) |
| 先代: リチャード・フー・ツ・タウ |
2001年 - 2007年 |
次代: ターマン・シャンムガラトナム |
| 先代: ゴー・チョク・トン |
1990年 - 2004年 |
次代: トニー・タン・ケン・ヤム |
| 先代: トニー・タン・ケン・ヤム |
1986年 - 1992年 |
次代: スピア・ダナバラン |
| 党職 | ||
| 先代: ゴー・チョクトン |
第3代:2004年 - |
次代: (現職) |