リュシアス

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リュシアス古希: Λυσίας, Lysias, 紀元前445年頃 - 紀元前380年)は、古代ギリシアの弁論作者(ロゴグラフォス)で、アッティカ十大雄弁家の一人。アテナイで活躍した。

生涯[編集]

アテナイの在留外国人であるメトイコイの家庭に生まれる。父のケファロスはシケリア出身で、ペリクレスに説明されてアテナイに移住した。家庭は裕福でリュシアスには2人の兄弟がおり、高い教育を受けて育った。南イタリアに建設された植民都市トゥリオイに移住して弁論術を教えるが、ペロポネソス戦争紀元前431年 - 紀元前404年)でアテナイのシケリア遠征が失敗するとトゥリオイは情勢不安定となる。反アテナイの勢力によってリュシアスたちは追放され、アテナイへ戻った。

アテナイに戻ったのちはペイライエウスで楯の製作所を経営しつつ、弁論作者として活動を始める。しかしペロポネソス戦争の敗北によって成立した寡頭政の三十人政権によって財産を没収され、兄弟たちは逮捕されてリュシアスは亡命する。アテナイで民主派と寡頭派の内戦が始まると、リュシアスは民主派に傭兵を送って資金援助も行い、内戦が終結して和解交渉が始まった頃にアテナイに戻った。三十人政権に没収された財産は戻って来なかったが、リュシアスはアテナイで生活を続けることを選び、再び弁論作者として活躍した。

作品[編集]

現存するリュシアスの作品は、ほとんどが民主政復活後の紀元前403年以降に書かれたものである。リュシアス自身は内戦で民主派を支援したが、寡頭派の人々の弁論作成も引き受けている。リュシアス自身が演説をした弁論は『弁論第12番(エラストテネス告発)』だけであり、これは三十人僭主の一人であるエラストテネスを攻撃した内容である。

リュシアスの弁論術(レートリケー)はアテナイで高く評価された。そのため、プラトンの『国家』と『パイドロス』にもリュシアスが言及されている。

参考文献[編集]

  • リュシアス『弁論集』 桜井万里子・細井敦子安部素子訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2001年。
  • 桜井万里子『ソクラテスの隣人たち アテナイにおける市民と非市民』山川出版社、1997年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]