リトミック

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リトミックフランス語: rythmique英語: eurhythmicsフランス語: Rythmique、ユーリズミックス、ユーリトミクス[1])は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、新教育運動の絶頂期に、スイスの音楽教育家で作曲家でもあったエミール・ジャック・ダルクローズが開発した音楽教育の手法。開発者の名から、「ダルクローズ音楽教育法」ともいう。

概要[編集]

20世紀初頭、ハンブルクなどを中心に、国語や美術、体育、音楽の教育を、訓練・調教ではなく、子ども本人が自ら進んで学び、その感覚を体感的に身に着けていくための情操教育、芸術教育[2]が叫ばれ、ダルクローズは、そのために楽器の演奏訓練を早期から闇雲にやらせるのではなく、音を聞き、それを感じ、理解し、その上で楽器に触ってみる、音を組み合わせて音楽を作ることの楽しさを身体全体で味わわせ、その喜びの中で、音を出し、奏で、そこから旋律を作っていくことへの興味と音感を育んでいこうとした。生理学的・心理学的・芸術的などの様々な視点からの学際的な基盤に基づき、その内容は、

  1. ソルフェージュ(声と動きの音感教育)
  2. リズミックムーブメント(身体運動を伴うリズム・表現教育)
  3. インプロヴィゼイション(即興演奏・即興表現による表現教育)

の三本柱と、身体の動きと即時反応が共通の方法になっている。この方法により、心身の諸感覚機能および芸術的想像力や創造力を高め、精神と身体の調和を目指し、人間形成に資することを狙いとした心身二元論に根ざした音楽教育法である。

応用・影響[編集]

応用範囲は広く、音楽教育だけでなく、演劇やモダンダンスなどの舞踊、および体操の基礎教育、さらには音楽療法障がい児教育にも及んでいる。我が国の音楽教育では、大正時代に導入され、小林宗作(1893年 - 1963年)と天野蝶がその先駆者である[3][4]日本の音楽教育の草分けで、作曲家・指揮者山田耕筰も、自らダルクローズを訪ね、大いに影響を受けたという。第二次世界大戦の後、アメリカで学んできた板野やすしがその普及発展に尽力した[5]

一部に、知育と組み合わせて英才教育としての効果を説く幼児教室や教育産業もあるが、それはリトミックの本来の趣旨にはないものである。

関連項目[編集]

脚注[編集]

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注釈・出典[編集]

  1. ^ これらの言葉には、「優しい流れ」「良いかたち」という意味がある。神原雅之「幼児と音楽 : -リトミックに関する研究動向を中心に-」『音楽教育学』第44巻第1号、日本音楽教育学会、2014年、 40-47頁、 doi:10.20614/jjomer.44.1_40ISSN 0289-6907NAID 130005529316
  2. ^ ハンブルク工芸美術館の館長、アルフレッド・リヒトヴァルクがその指導者である。芸術教育運動(ドイツ語版)、あるいはミューズ教育運動という。
  3. ^ 谷田貝公昭、林邦雄『保育用語辞典』一藝社 2006年 p.383
  4. ^ 板野晴子「日本の音楽教育へのリトミック導入の経緯 : 小林宗作、天野蝶、板野平の関わりを中心に」明星大学 博士論文甲C第17号、2014年、 NAID 500001376932 板野晴子には『日本におけるリトミックの黎明期 日本のリズム教育へリトミックが及ぼした影響』ななみ書房 2016年がある。
  5. ^ ダルクローズ/板野平訳『リズム運動』全音楽譜出版社 1970年

外部リンク[編集]