リトアニア・キリスト教民主党

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議席数の推移
議会における議席数
第二次世界大戦
1922年 - 1923年 38 議席(全 78 議席中)
1923年 - 1926年 40 議席(全 78 議席中)
1926年 - 1927年 30 議席(全 85 議席中)
冷戦
1990年 - 1992年 2 議席(全 141 議席中)
1992年 - 1996年 10 議席(全 141 議席中)
1996年 - 2000年 16 議席(全 141 議席中)
2000年 - 2004年 2 議席(全 141 議席中)
2004年 - 2008年 議席なし(全 141 議席中)

リトアニア・キリスト教民主党リトアニア語: Lietuvos krikščionys demokratai、略称: LKD)は、かつて存在していたリトアニアキリスト教民主主義政党。現在は祖国連合に合併されている。

1905年に設立され、ローマカトリック教会と強い関係を持っていた。1920年代はリトアニアの政治で重要な地位を占めていたものの、1926年に起きたクーデターののち、1936年に活動を中止させられた。またその後、リトアニアがソビエト連邦に併合されたことから1989年までは政党が再設立されることはなかった[1][2][3]

リトアニアで独立回復の気運が高まっていた1989年、リトアニア・キリスト教民主党が再設立され、1992年リトアニア議会選挙でも結果を残した。1996年の議会選挙では祖国連合=リトアニア保守党 (TS-LK) に次ぐ議席数を獲得した。祖国連合とは連立を組み、選挙後は与党の一員となった。連立は1999年6月に崩壊し、2000年の議会選挙では2議席を獲得するにとどまったが、この選挙での失敗がキリスト教民主連合 (KDS) との合併の引き金ともなった。

また、リトアニア・キリスト教民主党は欧州人民党 (EPP) や欧州キリスト教政治運動に加盟していた。

2004年リトアニア議会選挙では十分な票を得られず、議席を獲得することができなかった。その後2008年5月17日祖国同盟と合併し、祖国同盟は政党名を祖国同盟=リトアニア・キリスト教民主党Tėvynės sąjunga - Lietuvos krikščionys demokratai、略称: TS-LKD)と改めた。

脚注[編集]

  1. ^ Ludwikowski, Rett R. (1996). Constitution-Making in the Region of Former Soviet Dominance. Duke University Press. ISBN 0822318024. https://books.google.co.jp/books?id=qw8o0_c0m74C&pg=PA78&lpg=PA78&dq=lithuanian+christian+democratic+party+1905&source=web&ots=mvPyqLURvu&sig=13plYHHT96qeSGNHGT7eGLStBiE&hl=en&redir_esc=y 
  2. ^ Crampton, R. J. and Ben (1996). Atlas of Eastern Europe in the Twentieth Century. Routledge. ISBN 0415066891. https://books.google.co.jp/books?id=97gzDo7A0ZwC&pg=PA93&lpg=PA93&dq=lithuanian+christian+democratic+party+dominated&source=web&ots=QM-KpruqYI&sig=DOta8u9bw71ho41o2YYK6u3BaEw&hl=en&redir_esc=y 
  3. ^ Eidintas, Alfonsas (1991). Lietuvos Respublikos prezidentai. Vilnius: Šviesa. pp. 107–108. ISBN 5-430-01059-6 (リトアニア語)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]