リトアニアにおける禁酒運動

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リトアニアにおける禁酒運動は、19世紀中旬以降のリトアニアで展開された禁酒運動リトアニア語: blaivybės sąjūdis)のこと。

歴史[編集]

テルシェイ地区ヴァルネイにあるモティエユス・ヴァランチュスの記念プレート

1858年10月11日ジェマイティヤ司教モティエユス・ヴァランチュスが禁酒運動を始めた。すべての教区で禁酒団体が設立された。2年間でアルコール消費量は5分の1まで減ったとされる。帝政ロシア当局はこの禁酒運動を帝国に対する脅威とみなし、1863年に運動を広めることを禁止した。そのためウオツカの消費は再び増えた。

20世紀初め、禁酒団体が再建された。アンタナス・バラナウスカスヴィンツァス・クディルカヨナス・バサナヴィチュスマイロニスヴァイジュガンタスヴィードゥーナスプラナス・ヴァイチャイティスなどが禁酒運動を推進した。1908年カウナスの司祭らがリトアニア・カトリック禁酒協会(リトアニア語: Lietuvos katalikų blaivybės draugija)を設立し、全国レベルで活動を展開した。協会は1914年の時点で212の支部および約6000人の会員を有していた。

2007年6月14日、国会決議第 X-1185 号により、2008年が「禁酒の年」と宣言された。