リッチー・シェインブラム

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リッチー・シェインブラム
Richie Scheinblum
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州ニューヨーク
生年月日 (1942-11-05) 1942年11月5日(76歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 1964年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1965年9月1日
NPB / 1975年4月5日
最終出場 MLB / 1974年9月21日
NPB / 1976年10月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

リチャード・アラン・シェインブラムRichard Alan Scheinblum, 1942年11月5日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身の元プロ野球選手外野手)。

来歴・人物[編集]

ロングアイランド大学を経て、1964年クリーブランド・インディアンスと契約。翌1965年9月1日の対カンザスシティ・アスレチックス戦でメジャーデビューを果たす。カンザスシティ・ロイヤルズ在籍時の1972年には、MLBオールスターゲームにも出場する活躍を見せ、シーズン打率.300(リーグ6位)を記録した。

その後、ジョー・ルーツに請われて1975年セントルイス・カージナルスより広島東洋カープに入団。登録名シェーン西部劇シェーン』にちなんだといわれる[1] [2]。本人はひょうきんで大らかな性格で、名前を省略される形になったこの登録名も「問題ないよ。ただ、僕は馬は連れて来ないけどね」とジョークで受けたという。

ゲイル・ホプキンス山本浩二衣笠祥雄クリーンナップと共に赤ヘル打線を形成し、セントラル・リーグ初優勝に貢献した。1975年5月17日の対大洋ホエールズ戦では、日本プロ野球で初めて1試合左右両打席本塁打を記録している。

敬虔なユダヤ教の教徒で1975年9月14日の対読売ジャイアンツ戦ではこの日がユダヤ教信者懺悔の日という宗教的理由で欠場した[1]ユダヤ暦によるとこの日はヨム・キプルという人間の罪を懺悔する日で、メジャーではサンディー・コーファックスが同じ理由でワールドシリーズの1試合を欠場している。

1976年に打率.307、20本塁打、62打点と前年より好成績を残すも、守備難があったため同年限りで退団した。

エピソード[編集]

シェーンがカープ在籍中、広島市民球場での試合の際にライトスタンドの観客から「何かネタを披露してくれ」とねだられたことがあり、帽子の中に鳥を入れておき帽子を取ると鳥が飛んでいくというネタを披露した[3]

当時の広島カープ監督の古葉竹識は、自身の監督在任中に入団して来た高橋慶彦山崎隆造正田耕三をスイッチヒッターに転向させたことについて、カープ初優勝の1975年に左右両打で好打を放つシェーンの活躍を見て『相手投手が右でも左でも交代させる必要がないスイッチヒッターは、チームにとっても大変重要な存在である』と痛感したことがそのきっかけであったことを語っている[4]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]


















































O
P
S
1965 CLE 4 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1967 18 73 66 8 21 4 2 0 29 6 0 2 1 1 5 1 0 10 0 .318 .361 .439 .801
1968 19 64 55 3 12 5 0 0 17 5 0 0 0 3 5 0 1 8 2 .218 .281 .309 .590
1969 102 222 199 13 37 5 1 1 47 13 0 2 1 3 19 0 0 30 8 .186 .253 .236 .490
1971 WHS3 27 57 49 5 7 3 0 0 10 4 0 0 0 0 8 0 0 5 2 .143 .263 .204 .467
1972 KC 134 518 450 60 135 21 4 8 188 66 0 1 3 3 58 3 4 40 19 .300 .383 .418 .800
1973 CIN 29 65 54 5 12 2 0 1 17 8 0 0 0 1 10 1 0 4 1 .222 .338 .315 .653
CAL 77 268 229 28 75 10 2 3 98 21 0 0 2 1 35 6 1 27 6 .328 .417 .428 .845
'73計 106 333 283 33 87 12 2 4 115 29 0 0 2 2 45 7 1 31 7 .307 .402 .406 .808
1974 10 27 26 1 4 0 0 0 4 2 0 0 0 0 1 0 0 2 2 .154 .185 .154 .339
KC 36 91 83 7 15 2 0 0 17 2 0 1 0 0 8 0 0 8 4 .181 .253 .205 .458
STL 6 6 6 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .333 .333 .333 .667
'74計 52 124 115 8 21 2 0 0 23 4 0 1 0 0 9 0 0 11 6 .183 .242 .200 .442
1975 広島 117 417 374 31 105 17 0 13 161 56 1 3 1 4 36 6 2 38 11 .281 .344 .430 .774
1976 122 457 417 50 128 21 0 20 209 62 3 0 1 6 31 5 2 40 14 .307 .353 .501 .854
MLB:8年 462 1392 1218 131 320 52 9 13 429 127 0 6 7 12 149 11 6 135 44 .263 .343 .352 .695
NPB:2年 239 874 791 81 233 38 0 33 370 118 4 3 2 10 67 11 4 78 25 .295 .349 .468 .816

記録[編集]

MLB
NPB

背番号[編集]

  • 24 (1965年)
  • 28 (1967年 - 1969年)
  • 39 (1971年 - 1971年途中)
  • 35 (1971年途中 - 同年終了)
  • 5 (1972年、1975年 - 1976年)
  • 26 (1973年 - 1973年途中)
  • 9 (1973年途中 - 1974年途中)
  • 30 (1974年途中 - 1974年途中)
  • 19 (1974年途中 - 同年終了)

出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 【9月14日】1975年(昭50) 本日安息日 優勝目前でも試合に出なかったシェーン”. スポーツニッポン (2007年9月14日). 2012年12月29日閲覧。
  2. ^ ファミリーネームが長すぎるという理由もあり
  3. ^ 2015年1月10日「キニナルてれび」
  4. ^ 二宮清純 (2017年3月15日). “第787回 WBC躍進ユダヤ系選手と日本の深い縁”. 二宮清純「唯我独論」. 2017年3月15日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]