ランナウェイ!サウンドレポート

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ランナウェイ!サウンドレポート
ジャンル バラエティ番組
放送期間 1980年4月7日 - 1983年4月29日
放送時間 月曜日 - 金曜日 23:17 - 23:27頃
(※ニッポン放送での放送時間)
放送局 ニッポン放送
制作 ニッポン放送
ネットワーク NRN系列
STVTBC東海ラジオOBCKBC
パーソナリティ くり万太郎
塚たんくろう(塚越孝
河合奈保子
柏原芳恵
ディレクター 杉沢一[1]
提供 パイオニア(ホームAV機器事業部)
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ランナウェイ!サウンドレポートは、1980年4月7日から1983年4月29日まで、ニッポン放送で放送されていたラジオ番組

パイオニア(ホームAV機器事業部。現・オンキヨーホームエンターテイメント)の一社提供番組。

パーソナリティ[編集]

タイトルの変遷[編集]

  • ランナウェイ!サウンドレポート (1980年4月7日 - 1981年4月)
  • くり万・奈保子のランナウェイ!サウンドレポート (1981年4月6日 - 1981年10月30日)
  • 塚越・奈保子のランナウェイ!サウンドレポート (1981年11月2日 - 1981年12月)
  • 塚たん・奈保子のランナウェイ!サウンドレポート (1982年1月 - 1982年4月30日)
    • 塚越孝がマイクネーム「塚たんくろう」として出演開始したため変更。
  • 塚たん・よしえのランナウェイ!サウンドレポート (1982年5月3日 - 1982年9月)
  • 塚たん・芳恵のランナウェイ!サウンドレポート (1982年10月 - 1983年4月29日)
    • 柏原が「よしえ」から「芳恵」に芸名表記を変更したため。

概要[編集]

リスナーから送られたカセットテープに録音された音源の紹介を主体としていた番組[1]。番組タイトルの『ランナウェイ』は、当時パイオニアより発売されていたラジカセの商品名に因む。自分で演技やギャグ、コントをしたり、DJ番組を製作したり、または自分の周りにある変わった音など、面白いことを録音した様々な音源が紹介されていた[1][2]。紹介されて放送されたテープの送り主には、番組特製の「サウンドパルトレーナー」が贈られていた[1]。また、毎月最終金曜日には紹介されたテープ音源の中から月間グランプリが選ばれた。グランプリに選ばれたテープは再放送され、その送り主には賞品としてパイオニア製のラジカセがプレゼントされた[1]

パーソナリティは当時のニッポン放送の夜ワイド番組と連動する形であり、最初は『大入りダイヤルまだ宵の口』のメインパーソナリティだったくり万太郎が出演。夜ワイド番組が『宵の口』から『くるくるダイヤル ザ・ゴリラ』に代わると共に、本番組のパーソナリティも『ザ・ゴリラ』メインパーソナリティの塚越孝(当時はまだ「つかちゃん」の愛称が無く、「塚たんくろう」というマイクネームで出演)に代わった。1981年4月からはこれに河合奈保子→柏原よしえ(芳恵)とアイドルパーソナリティが加わった。

くり万太郎がパーソナリティだった当時は、自分が聴いてみたい音のリクエストを送って採用されると、それを聴かせてくれる『サウンドリクエスト』のコーナーがあった[2]

『ザ・ゴリラ』が打ち切られ夜ワイド番組が『ヤングパラダイス』に代わる際に、打ち切りの経緯から箱番組を大幅に削減する事となり、本番組がその整理対象になったため1983年4月に『ザ・ゴリラ』と共に終了(両番組の項も参照)。パイオニア提供でカセットテープの投稿を主体としたスタイルの番組は翌5月に夜ワイドから独立し、同じく『ザ・ゴリラ』から独立した『日立ミュージックイン』『コッキーポップ』と共に24時台に編成される『武田久美子 パイオニア・サウンド・ハイスクール』(平日24:30 - 24:40)に継承された。

放送時間・ネット局[編集]

以下、放送時間が変わっているものは前者が1980年4月当時、後者は1981年10月〜1983年当時。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 明星集英社)1982年3月号 p.178「MYOJO PAPER RADIO」
  2. ^ a b ラジオマガジン 1980年7月号 p.48
ニッポン放送 月曜日 - 金曜日 23:17 - 23:27枠
(1980年4月7日 - 1983年4月29日)
前番組 番組名 次番組
味の素サウンドネットワーク
ポップステップ踊らにゃSong Song
ランナウェイ!
サウンドレポート
ヤングパラダイス
(月 - 木 22:00 - 24:00)
恋する電リク
マイク・ストロベリーショー

(金曜 22:00 - 25:00)