ランディ・バタハ

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ランディ・バタハ
Randy Vataha
基本情報
ポジション ワイドレシーバー
生年月日 (1948-12-04) 1948年12月4日(75歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンタモニカ
身長: 5' 10" =約177.8cm
体重: 173 lb =約78.5kg
経歴
大学 スタンフォード大学
NFLドラフト 1971年 / 17巡目全体418位
初出場年 1971年
初出場チーム ニューイングランド・ペイトリオッツ
所属歴
ニューイングランド・ペイトリオッツ(1971年-1976年)
グリーンベイ・パッカーズ(1977年)
NFL 通算成績
レシーブ回数 188回
レシーブ獲得ヤード 3,164ヤード
TDレシーブ 23回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

ランディ・バタハ(Randy Vataha 1948年12月4日- )はカリフォルニア州サンタモニカ出身の元アメリカンフットボール選手で実業家。ポジションはワイドレシーバー

彼はジム・プランケットの好んだレシーバーであり[1]スタンフォード大学4年次の1970年、96ヤードのタッチダウンレシーブをマークした。この記録は1999年にジョー・ボーチャードからトロイ・ウォルターズへの98ヤードのタッチダウンパスが決まるまで大学記録であった[2]。またパントリターンで平均14.7ヤードの大学記録を保持している[2]

1970年のローズボウルで1TDをあげたが14-22で敗れた[3]

1971年のローズボウルでもTDレシーブをあげてオハイオ州立大学を破る番狂わせを演じた[4]

1971年NFLドラフト17巡目でロサンゼルス・ラムズに指名されたが開幕ロースターに残ることはできずフリーエージェントで大学時代のチームメートであるジム・プランケットがドラフト全体1位で入団していたニューイングランド・ペイトリオッツに入団し、1年目彼は51回のキャッチで872ヤードを獲得、9タッチダウンをあげて[5]UPI通信よりAFCオールルーキーチームに選ばれた。ペイトリオッツで6シーズン過ごした後、1977年グリーンベイ・パッカーズでプレーし現役を引退した。

1975年にはNFL選手会代表として労使交渉にあたった[1]

現役を引退した後、スポーツ選手のマネージメントを行う会社を設立しCEOに就任、彼の会社の顧客にはラリー・バードラリー・キングなどが在籍した[5]。 1983年にはUSFLボストン・ブレイカーズの共同オーナーとなった[5]。現在はプロスポーツチームの売買を行う会社の社長を務めている[5]

脚注[編集]

  1. ^ a b Marriage Broker”. スポーツ・イラストレイテッド (2000年2月21日). 2010年11月26日閲覧。
  2. ^ a b Stanford Football Media Guide. 2006” (PDF). スタンフォード大学 (2006年). 2010年11月26日閲覧。
  3. ^ http://articles.sfgate.com/2010-11-20/sports/24842446_1_bears-stymies-dave-penhall”. sfgate.com (2010年11月20日). 2010年11月26日閲覧。
  4. ^ The Rose Bowl 1971”. mmbolding.com. 2010年11月26日閲覧。
  5. ^ a b c d Official New England Patriots Biography”. patriots.com. 2010年11月26日閲覧。

外部リンク[編集]