ランズダウン侯爵

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ランズダウン侯爵ペティ=フィッツモーリス家の紋章のエスカッシャン部分

ランズダウン侯爵: Marquess of Lansdowne)は、イギリス侯爵位。グレートブリテン貴族

13世紀以来の長い歴史を持つアイルランド貴族ケリー伯爵(ケリー=リックナウ男爵)フィッツモーリス家英語版の分流で首相を務めた第2代シェルバーン伯ウィリアム・ペティ1784年に叙されたのに始まる。3代侯の代の1818年からはフィッツモーリス家の本家となり、ペティ=フィッツモーリスと改姓してケリー伯爵位とケリー=リックナウ男爵位も併せて継承している。

歴史[編集]

首相を務めた初代ランズダウン侯爵・第2代シェルバーン伯爵ウィリアム・ペティ
ランズダウン侯爵家本邸ボーウッド・ハウス英語版

13世紀以来ケリー=リックナウ男爵位を継承し続けてきたアイルランド貴族フィッツモーリス家の当主初代ケリー伯爵(第21代ケリー=リックナウ男爵)トマス・フィッツモーリス(1668–1741)とその妻アン・ペティ(経済学者ウィリアム・ペティの娘)の次男ジョン・フィッツモーリス(1706-1761)は、ホイッグ党庶民院議員を務めた後、1751年に母方の姓ペティに改姓するとともにペティ家に由来する爵位を与えられた。1751年10月7日にはアイルランド貴族フィッツモーリス子爵(Viscount FitzMaurice)とダンケロン男爵(Baron Dunkerron)、1753年6月6日にはアイルランド貴族シェルバーン伯爵(Earl of Shelburne)、1760年5月20日グレートブリテン貴族バッキンガム州におけるチッピング・ウィコムのウィコム男爵(Baron Wycombe, of Chipping Wycombe in the County of Buckingham)に叙せられた[1][2]

その長男で1761年に第2代シェルバーン伯爵を襲爵したウィリアム (1737-1805)は、ホイッグ党の有力政治家となり、1782年から1783年にかけてイギリスの首相を務めている。彼の在任中にアメリカ独立戦争の講和条約パリ条約の締結が行われた[3]。首相退任後の1784年12月6日にはランズダウン侯爵(Marquess of Lansdowne)、バッキンガム州におけるチッピング・ウィコムのウィコム伯爵(Earl Wycombe, of Chipping Wycombe in the County of Buckingham)、キャルネ=キャルストン子爵(Viscount Calne and Calston)に叙せられた(すべてグレートブリテン貴族)[2][4]。これがランズダウン侯爵家の創始となる。

初代侯の死後、その長男であるジョン英語版(1765-1809)が2代侯となった。彼は襲爵前の1786年から1802年にかけてホイッグ党の庶民院議員を務めたが、襲爵から4年後の1809年に死去した[4][5]

2代侯には子供がなかったので、その弟(初代侯の次男)であるヘンリー (1780-1863)が3代侯を継承した。彼はホイッグ党の穏健派閥の幹部としてホイッグ党、あるいはトーリー党自由主義派の内閣で財務大臣内務大臣枢密院議長英語版貴族院院内総務英語版などの閣僚職を歴任した[6]。また1818年には本家筋にあたる第3代ケリー伯フランシス・トーマス=フィッツモーリス英語版が男子なく死去したため、第4代ケリー伯爵(Earl of Kerry)と第4代クランモーリス子爵(Viscount Clanmaurice)、第24代ケリー=リックナウ男爵(Baron of Kerry and Lixnaw)も継承することになった。この際に「ペティ=フィッツモーリス」に改姓した[4][7]

3代侯の死後、その次男(長男は死去)であるヘンリー英語版(1816-1866)が4代侯となった。彼は襲爵前の1837年から庶民院議員を務め、1856年にはいまだ父が存命ながら繰上貴族院召集令状により父の爵位ウィコム男爵位を継承して貴族院議員となった。ホイッグ党(自由党)に所属し、1856年から1858年にかけてホイッグ党政権第一次パーマストン子爵内閣で外務政務次官英語版を務めた。しかし襲爵から3年後の1866年に死去している[4][8]

その長男である5代侯ヘンリー (1845-1927)もはじめ自由党の政治家だったが、彼は自由統一党を経て保守党(統一党)へ移籍し、20世紀初頭の保守党政権第3次ソールズベリー侯爵内閣とバルフォア内閣で外務大臣(在職1900-1905)を務め、日英同盟英仏協商の締結に尽力した[9]。また彼は1895年6月26日に母親の第8代ネアーン女卿エミリー英語版からスコットランド貴族爵位の第9代ネアーン卿英語版(Lord Nairne)を継承している[10]

その長男である6代侯ヘンリー英語版(1872-1936)は襲爵前に保守党の庶民院議員を務めた。またアイルランド自由国成立後の1922年には同国の元老院議員となっている[11]

その長男である7代侯チャールズ英語版(1917-1944)は、第二次世界大戦に従軍したが、子供のないまま戦死した[12]。そのため爵位は7代侯の従兄弟(5代侯の次男チャールズの子)にあたるジョージ英語版(1912-1999)が継承した[4]。しかしこの際に女系継承が可能なネアーン卿位のみは7代侯の姉キャサリン(1912-1995)に継承されており、以降ネアーン卿位はランズダウン侯爵位と分離した[10]

8代侯の長男である第9代ランズダウン侯爵チャールズ英語版(1941-)が現在の当主である[4]

本邸はウィルトシャーキャルネ英語版にあるボーウッド・ハウス英語版。一族のモットーは「言葉ではなく勇気を持て(Virtute Non Verbis)」[4]

現当主の全保有爵位[編集]

現在の当主である第9代ランズダウン侯爵チャールズ・ペティ=フィッツモーリス英語版は、以下の爵位を保有している[4][13]

  • サマセット州における第9代ランズダウン侯爵 (9thMarquess of Lansdowne, in the County of Somerset)
    (1784年12月6日勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第10代ケリー伯爵 (10th Earl of Kerry)
    (1722年1月17日の勅許状によるアイルランド貴族爵位) ※法定推定相続人儀礼称号
  • ウェックスフォード州における第10代シェルバーン伯爵 (10th Earl of Shelburne, in the County of Wexford)
    (1753年6月26日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • バッキンガム州におけるチッピング・ウィコムの第9代ウィコム伯爵 (9th Earl Wycombe, of Chipping Wycombe in the County of Buckingham)
    (1784年12月6日の勅許状によるグレートブリテン貴族)
  • 第10代クランモーリス子爵 10th Viscount Clanmaurice
    (1722年1月17日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第10代フィッツモーリス子爵 (10th Viscount Fitzmaurice)
    (1751年10月7日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第9代キャルネ=キャルストン子爵 (9th Viscount Calne and Calston)
    (1784年12月6日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第30代ケリー=リックナウ男爵 (30th Baron of Kerry and Lixnaw)
    (1223年頃創設アイルランド貴族爵位)
  • 第10代ダンケロン男爵 (10th Baron Dunkeron)
    (1751年10月7日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • バッキンガム州におけるチッピング・ウィコムの第7代ウィコム男爵 (7th Baron Wycombe, of Chipping Wycombe in the County of Buckingham)
    (1760年5月17日の勅許状によるグレートブリテン貴族)

一覧[編集]

シェルバーン伯爵 (1753年)[編集]

肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間 続柄 備考
初代シェルバーン伯爵
ジョン・ペティ
(旧姓フィッツモーリス)

(1706-1761)
1753年6月6日
- 1761年5月14日
初代ケリー伯の次男 1751年にペティに改姓
Shelburne cropped.jpg 2代シェルバーン伯爵
ウィリアム・ペティ
(1737-1805)
1761年5月14日
- 1805年5月7日
先代の長男 南部担当国務大臣英語版(1766-1768)
内務大臣(1782)
首相(1782-1783)
1784年にランズダウン侯に叙される

ランズダウン侯爵 (1784年)[編集]

肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間 続柄 備考
Shelburne cropped.jpg 初代ランズダウン侯爵
ウィリアム・ペティ
(1737-1805)
1784年12月6日
- 1805年5月7日
初代シェルバーン伯の長男
2ndMarquessOfLansdowne.jpg 2代ランズダウン侯爵
ジョン・ペティ英語版
(1765年 - 1809年)
1805年5月7日
- 1809年11月15日
先代の長男
Lansdowne3.JPG 3代ランズダウン侯爵
ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス
(1780年-1863年)
1809年11月15日
- 1863年1月31日
先代の弟 財務大臣(1806-1807)
内務大臣(1827-1828)
枢密院議長英語版(1830-1834、1835-1841、1846-1852)
1818年に4代ケリー伯、24代ケリー=リックナウ男爵継承
4thMarquessOfLansdowne.jpg 4代ランズダウン侯爵
ヘンリー・トマス
ペティ=フィッツモーリス
英語版

(1816年 - 1866年)
1863年1月31日
- 1866年7月5日
先代の次男 外務政務次官英語版(1856-1858)
Henry Charles Keith Petty-Fitzmaurice, 5th Marquess of Lansdowne by Philip Alexius de László.jpg 5代ランズダウン侯爵
ヘンリー・チャールズ・キース
ペティ=フィッツモーリス

(1845年 - 1927年)
1866年7月5日
- 1927年6月3日
先代の長男 カナダ総督(1883-1888)
インド総督(1888-1894)
陸軍大臣英語版(1895-1900)
外務大臣(1900-1905)
1895年に9代ネアーン卿英語版継承
6thMarquessOfLansdowne.jpg 6代ランズダウン侯爵
ヘンリー・トマス
ペティ=フィッツモーリス
英語版

(1872年 - 1936年)
1927年6月3日
- 1936年3月5日
先代の長男 アイルランド自由国元老院議員
7代ランズダウン侯爵
チャールズ・ホープ
ペティ=フィッツモーリス
英語版

(1917年 - 1944年)
1936年3月5日
- 1944年8月30日
先代の長男 第二次世界大戦で戦死
ネアーン卿は姉キャサリンが継承
8代ランズダウン侯爵
ジョージ・ジョン・チャールズ・マーサー・ネアーン
ペティ=フィッツモーリス
英語版

(1912年 - 1999年)
1944年8月30日
- 1999年8月25日
先代の従兄弟
9代ランズダウン侯爵
チャールズ・モーリス
ペティ=フィッツモーリス
英語版

(1941年 - )
1999年8月25日
- 受爵中
先代の長男
ケリー伯爵(儀礼称号)
サイモン・ヘンリー・ジョージ
ペティ=フィッツモーリス

(1970年 - )
法定推定相続人 現当主の長男

系図[編集]

ケリー=リックナウ男爵家から
 
 
 
 
 
 
 
 
ウィリアム・ペティ
(1623-1687)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ケリー伯、1723年
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
21代ケリー=リックナウ男爵
初代ケリー伯
トマス・フィッツモーリス

(1668-1741)
 
アン・ペティ
(-1737)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
シェルバーン伯、1751年
 
2代ケリー伯
ウィリアム・フィッツモーリス
英語版

(1694-1747)
 
初代シェルバーン伯
ジョン・フィッツモーリス
(後ペティと改姓)

(1706-1761)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ランズダウン侯、1784年
 
3代ケリー伯
フランシス
トマス=フィッツモーリス
英語版

(1740-1818)
 
2代シェルバーン伯
初代ランズダウン侯
ウィリアム・ペティ

(1737-1805)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2代ランズダウン侯
ジョン・ペティ
英語版

(1765-1809)
 
3代ランズダウン侯
4代ケリー伯
ヘンリー・ペティ

(後ペティ=フィッツモーリスと改姓)
(1780-1863)
 
 
 
 
 
 
 
以下姓名ペティ=フィッツモーリス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ケリー伯(儀礼称号)
ウィリアム
英語版

(1811-1836)
 
4代ランズダウン侯
ヘンリー
英語版

(1816-1866)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5代ランズダウン侯
ヘンリー

(1845-1927)
 
初代フィッツモーリス男爵
エドモンド
英語版

(1846-1935)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6代ランズダウン侯
ヘンリー
英語版

(1872-1936)
 
チャールズ英語版
(1874-1914)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7代ランズダウン侯
チャールズ
英語版

(1917-1944)
 
8代ランズダウン侯
ジョージ
英語版

(1912-1999)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
9代ランズダウン侯
チャールズ
英語版

(1941-)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ケリー伯(儀礼称号)
サイモン

(1970-)
 
 
 

脚注[編集]

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出典[編集]

  1. ^ Lundy, Darryl. “John Petty, 1st Earl of Shelburne” (英語). thepeerage.com. 2016年1月21日閲覧。
  2. ^ a b Heraldic Media Limited. “Shelburne, Earl of (I, 1753)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月21日閲覧。
  3. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 682.
  4. ^ a b c d e f g h Heraldic Media Limited. “Lansdowne, Marquess of (GB, 1784)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月9日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “John Henry Petty, 2nd Marquess of Lansdowne” (英語). thepeerage.com. 2016年1月23日閲覧。
  6. ^ 君塚直隆 1999, p. 52-142.
  7. ^ Heraldic Media Limited. “Kerry, Earl of (I, 1723)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月9日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “Henry Petty-FitzMaurice, 4th Marquess of Lansdowne” (英語). thepeerage.com. 2016年1月23日閲覧。
  9. ^ 坂井秀夫 1967, p. 307-309.
  10. ^ a b Heraldic Media Limited. “Nairne, Lord (S, 1681)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月23日閲覧。
  11. ^ Lundy, Darryl. “Henry William Edmund Petty-FitzMaurice, 6th Marquess of Lansdowne” (英語). thepeerage.com. 2016年1月23日閲覧。
  12. ^ Lundy, Darryl. “Charles Hope Petty-FitzMaurice, 7th Marquess of Lansdowne” (英語). thepeerage.com. 2016年1月23日閲覧。
  13. ^ Lundy, Darryl. “Charles Maurice Petty-FitzMaurice, 9th Marquess of Lansdowne” (英語). thepeerage.com. 2016年1月23日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]