ラリー・バーンズ

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ラリー・バーンズ
Larry Barnes
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州カーン郡ベーカーズフィールド
生年月日 (1974-07-23) 1974年7月23日(42歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手左翼手
プロ入り 1995年 アマチュア・フリーエージェントとしてカリフォルニア・エンゼルスと契約
初出場 MLB / 2001年4月11日
NPB / 2004年3月27日
最終出場 MLB / 2003年7月31日
NPB / 2004年9月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ラリー・バーンズLarry Barnes , 1974年7月23日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州カーン郡ベーカーズフィールド出身のプロ野球選手一塁手左翼手)。左投左打。

経歴[ソースを編集]

1993年MLBドラフト69巡目(全体1646位)でフロリダ・マーリンズから指名されたが、この時は入団せず。

1994年MLBドラフト51巡目(全体1380位)ではアトランタ・ブレーブスから指名されたが、この時も入団せず。

1995年カリフォルニア・エンゼルスと契約してプロ入り。2001年4月11日にメジャーデビュー。

2004年読売ジャイアンツに移籍したタフィ・ローズの穴を埋める存在を期待され、梨田昌孝監督率いる大阪近鉄バファローズに入団した。内野手登録ではあったが、左翼手指名打者での起用がほとんどだった。

開幕戦から3番を任された、開幕第2戦での対日本ハム戦では、3点を追う9回裏2死満塁の場面で、建山義紀から2点適時二塁打を放ち、続く中村紀洋の逆転サヨナラ打に繋げた。ところが、翌日の試合で故障に見舞われる。6月1日に復帰すると、6月8日の対西武戦で来日初本塁打を満塁本塁打で飾った。なお、同僚の大西宏明が同年に初本塁打を初回先頭打者本塁打で記録していたことで、先頭打者本塁打と満塁本塁打により初本塁打を記録した選手が同一年に揃ったのは、史上2例目となった[1]。しかし、その後は勢いが持続せず、7月にマリオ・バルデス外野手の加入で二軍に降格。暫く活躍していたそのマリオが調子を落としてからは、8月28日に再登録。同日の対ロッテ戦で出場するが、1点リードの9回表2死2塁の場面でマット・フランコが放ったライナー性の打球を後逸(記録は三塁打)。同点になった後、チームは延長戦の末に敗れ、Bクラスが決定した。結局、一・二軍の往復に終始し、チームの消滅とともに自由契約となった。

2005年はマーリンズ傘下(当時)のAAA級アルバカーキ・アイソトープス2006年独立リーグアトランティック・リーグサマセット・パトリオッツでプレーした。

人物[ソースを編集]

母親はタイ出身である。

詳細情報[ソースを編集]

年度別打撃成績[ソースを編集]

















































O
P
S
2001 ANA 16 41 40 2 4 0 0 1 7 2 0 0 0 0 1 0 0 9 1 .100 .122 .175 .297
2003 LAD 30 39 38 2 8 2 0 0 10 2 0 0 0 0 1 0 0 9 0 .211 .231 .263 .494
2004 近鉄 34 117 107 18 27 3 1 4 44 19 1 0 0 0 9 0 1 32 2 .252 .316 .411 .727
MLB:2年 46 80 78 4 12 2 0 1 17 4 0 0 0 0 2 0 0 18 1 .154 .175 .218 .393
NPB:1年 34 117 107 18 27 3 1 4 44 19 1 0 0 0 9 0 1 32 2 .252 .316 .411 .727

記録[ソースを編集]

NPB

背番号[ソースを編集]

  • 37(2001年)
  • 14(2003年)
  • 42(2004年)

脚注[ソースを編集]

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]