ラミロ2世 (アラゴン王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ラミロ2世
Ramiro II
アラゴン王
Remiro II d'Aragón.jpg
在位 1134年 - 1137年
出生 1086年4月24日
死去 1157年8月16日
配偶者 アニェス・ダキテーヌ(イネス・デ・ポイトウ)
子女 ペトロニーラ
王家 ヒメノ家
王朝 ヒメノ朝
父親 サンチョ1世
母親 フェリシー・ド・ルシー
テンプレートを表示

レミーロ2世アラゴン語Remiro II1086年4月24日 - 1157年8月16日)は、アラゴン(在位:1134年 - 1137年)。アラゴンとナバーラの王サンチョ・ラミレスの子。ペドロ1世アルフォンソ1世の弟。よく知られるラミーロ2世Ramiro II)という名は、カスティーリャ王国の言語であるカスティーリャ語(一般にスペイン語として知られる)の名である。

生涯[編集]

アルフォンソ1世の死後、アラゴン王位を継いだが、ナバーラ王位にはガルシア6世が就き、サンチョ・ラミレス以来続いていた同君連合は解消された。

俗事を嫌い、僧籍にあったが、兄の死により仕方なく王位を継いだと言われる[1]。即位後すぐにアキテーヌ公ギヨーム9世の娘アニェス(イネス)と結婚し、翌1135年に一人娘ペトロニーラをもうけた[2]。そして1137年に生まれたばかりのペトロニーラを隣国カタルーニャの君主、バルセロナ伯ラモン・バランゲー4世に嫁がせると[3]、同年11月に王位をペトロニラに譲り、娘婿ラモン・バランゲーにアラゴンの統治を託した。こうしてアラゴンとカタルーニャの同君連合アラゴン連合王国)が成立した。退位後、1157年に死去するまでの20年間、レミーロは俗世からは身を引き、ウエスカのサン・ペドロ・エル・ビエホ修道院(サン・ペール・オ・ビエーリョ修道院)で一修道士として暮らした。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 田澤、p. 50
  2. ^ Louda & Maclagan, p. 92
  3. ^ 関 他、p. 212

参考文献[編集]

  • 田澤耕 『物語 カタルーニャの歴史』 中央公論新社、2000年
  • 関哲行 他 『世界歴史大系 スペイン史 1』 山川出版社、2008年
  • Jiří Louda, Michael Maclagan, Lines of Succession, Little,Brown & Company, 1981.

関連項目[編集]