ラデツキー行進曲 (小説)

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ラデツキー行進曲
Radetzkymarsch
Joseph Roth Radetzkymarsch 1932.jpg
著者 ヨーゼフ・ロート
発行元 キーペンホイアー書店
ジャンル 歴史小説
オーストリア
言語 ドイツ語
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ラデツキー行進曲』(ドイツ語: Radetzkymarsch)は、オーストリアの作家ヨーゼフ・ロートによる歴史小説。題名は、ヨハン・シュトラウス1世行進曲にちなむ。

オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の危機を救った「ソルフェリーノの英雄」とその子孫の運命を、オーストリア帝国の没落に重ねて描いた。続編として、「ソルフェリーノの英雄」の弟の子孫を主人公に据えた『皇帝廟』がある。

概要[編集]

ドイツの『フランクフルト新聞ドイツ語版』で連載。連載当時は題名がなく、単行本出版の際に題名が決まった。構想段階では、1890年から1914年までの旧オーストリアを扱うつもりだったが、最終的には1859年から1916年までの物語となった。

物語[編集]

3部構成。

第1部[編集]

1859年ソルフェリーノの戦いにて[1]。敵軍の退却するさまを、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は従者に差し出された双眼鏡で覗こうとした[2]。それを目にしたスロヴェニア人の歩兵少尉ヨーゼフ・トロッタは、仰天した。たとえ敵軍が退却しているとしても、しんがりを務める部隊はまだオーストリアの方を向いているに違いない。双眼鏡を持ち上げた者は、自分が狙撃されるに足る目標であることを相手に知らせるようなものではないか、と震え上がった[2]。トロッタ少尉は、皇帝の両肩を掴んで上から押さえつけた。フランツ・ヨーゼフ1世が転倒したその時、皇帝の心臓を狙った弾丸が、トロッタの左肩を貫いた[3]

回復したトロッタは、大尉の階級、帝国最高の勲章であるマリア・テレジア軍事勲章、貴族の称号を授かり、ジポーリエという生まれ育った村の名を取って、「ヨーゼフ・トロッタ・フォン・ジポーリエ」と呼ばれるようになった[3]

トロッタは突然の変化に困惑した。まるで自分の人生が他人の人生と取り換えられてしまったかのような思いだった。傷痍軍人であった父への手紙も、うまく書くことができない。トロッタ家はヨーゼフの祖父まではスラヴの農民の家系だったが、ヨーゼフはもはやその家系から離れてしまったのである[4]。ある日、ヨーゼフは「ソルフェリーノの戦いでのフランツ・ヨーゼフ1世」という表題の息子フランツの読本を見た。トロッタ少尉はその読本の中で、敵の騎兵に囲まれた皇帝をサーベルで華々しく救出したことになっていた。ヨーゼフは悪用されたと激怒し、皇帝に拝謁して苦情を申し立てた。拝謁が済んで駐屯地に戻った後、彼は退役を願い出たが、しかし退役しても皇帝の恩寵は失われず、男爵位を授けられた。

ヨーゼフはスロヴェニアの小農のように暮らし[5]、昔のことを思い出して時折腹を立てた[5]。彼は自分のことを後世の人々が忘れてくれるように願っていた[1]。ヨーゼフは財産の多くを傷痍軍人基金に遺贈することを決断し、できる限り質素に埋葬するよう遺言したが、彼の簡素な墓石には「ソルフェリーノの英雄」という誇り高い通称が刻まれていた[6]

出典[編集]

  1. ^ a b 平田 2007, p.7
  2. ^ a b 平田 2007, p.8
  3. ^ a b 平田 2007, p.9
  4. ^ 平田 2007, p.14
  5. ^ a b 平田 2007, p.22
  6. ^ 平田 2007, p.30

参考文献[編集]

  • ヨーゼフ・ロート『ラデツキー行進曲』平田達治訳、鳥影社、2007年1月15日。ISBN 978-4-86265-055-9
  • 武田智孝民主主義にして反民族主義,『ラデツキー行進曲』の捩じれ」『広島ドイツ文学』第26巻、広島独文学会、2012年7月31日、 17-34頁。