ラッダイト運動

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織機に対する破壊。1812年

ラッダイト運動(Luddite movement[1])は、1811年から1817年頃、イギリス中・北部の織物工業地帯に起こった機械破壊運動である。

概要[編集]

産業革命にともなう機械使用の普及により、失業のおそれを感じた手工業者・労働者が起こした。産業革命に対する反動とも、後年の労働運動の先駆者ともされる。機械所有の資本家には憎悪の対象であったが、詩人には創作の霊感を与えた。

ラッダイト(Luddite [ˈlʌd.t])という言葉の意味は不明であるが、1779年に2つのニット製造機Stocking frameを壊したネッド・ラッドという若者の名前を語源とするのだと一般には信じられている[2][3][4]

『ラッダイトたちの指導者』、1812年

機械の破壊と工場建築物の破壊に対する最初の法律は、イギリスで1769年に制定された。それはこのような行為を犯罪とし、死刑が科されていた。

1811年2月、イギリス政府は機械破壊を死罪にする法案を改めて提出した。上院での第二議会では、出席した詩人バイロンは熱弁をふるってこの法案に反対し、労働者を弁護した。草案は1812年3月に法律となったが、1769年の法律同様、機械破壊を止めることはできなかった。一、二度は死刑執行はあったが、襲撃者を発見することがきわめて困難だったためである。ラッダイト指導者の首に二千ポンドに上る懸賞金がかけられ、はじめて密告者により検挙が行われた。1813年1月13日、ヨークの裁判所で指導者ジョージ・メラーをふくむ三名への死刑宣告があったが、『年報Annual Resister』(1813年)には、彼らは裁判の最後まで沈着な態度を示し、メラーとその同志は陰謀家のようには見えない、他の境遇のもとでは彼らは立派な人間であったろう、と記されている。その三日後、十五人の労働者が処刑される。

一度は鎮圧されたように見えたラッダイト運動は、1816年に再燃する。ノッティンガムで靴下職人が三十個の機械を破損し、イギリスの東部地方では農民が干草の堆積に放火した。彼らは脱穀機を打ち壊し、「パンか、血か」と書かれた旗をもって示威運動を行った。バーミンガムプレストンニューカッスルでは失業者が示威運動を、ダンディーとグラスゴーでは軍隊と血なまぐさい衝突を起こした。 運動が一つの絶頂に達した1816年12月16日、バイロンはこの運動のために賦し、ラッダイトの人々をアメリカ独立戦争の人々に比している。

海の彼岸の自由な若者は その自由を、安価に、血潮で購った。
われわれ若人も、自由に生きるか、さもなくば死を賭して戦おう。
そして国王ラッドのほかはすべての国王を打ち倒そう!

ラッダイト運動は、最初は衝動にまかせた望みのない破壊に終始するが、1818年のランカシャーではより高い賃金のためだけでなく工場法と婦人少年労働の規制のために戦い、1819年マンチェスターでは普通選挙権と社会政策を求める政治行為となり、たんなる「産業革命に対する反革命」では終わらなかった。ラッダイト運動は農民一揆から労働運動への過渡期を担い、自由を追求する詩人に霊感を与えた。シェリー

種をまけ、しかし地主のためではなしに!
富を築け、しかし馬鹿者のためではなしに!
衣服を織れ、悪漢に着せるためではなしに!
武器を鍛えよ、おまえたち自身を保護するために!

と歌ったのは、ラッダイト運動がついえた四年後のことである。

産業革命時代のイギリスの経済学者カール・マルクス資本論でこのラッダイトを批判しており、労働者は「物質的な生産手段」ではなく、「社会的な搾取形態」を攻撃すべきだとした[5]

ネオ・ラッダイト[編集]

現代文明において、ITなどのハイテク技術の進化と台頭によって、個人の雇用機会が次第に奪われていくのではないかと懸念し、それらの開発を阻止し、利用を控えようという考え方がある。これはかつてのラッダイト運動になぞらえ、ネオ・ラッダイトと呼ばれている。

米クリントン政権の労働長官を努めたロバート・ライシュは自著『勝者の代償』[6]のなかで、情報技術の恩恵などにより個人が消費者として充実するほどに、逆に生産者・労働者としては不安定になる反比例的な問題点がニューエコノミー型経済には存在すると指摘。頻繁なコスト削減・付加価値付与・技術革新などの連続するニューエコノミー型経済は、所得や雇用機会の格差による少数の勝者と多数の敗者を鮮明化しその二層化と敗者固定化を深め、かつ身分・資産・サービスなどが固定化されたオールドエコノミー型経済社会と異なり、その勝利(雇用機会や所得の確保)を一時的とせず維持するために、個人生活をさらに犠牲にして長時間低賃金の所得デフレ進行を受入れつつ働かねばならない中で、家庭やコミュニティが次第におざなりとなりついにはそれらさえも商業的価値観に基づいて外注化され選択されるようになる…この一連の流れをライシュは『勝者の代償』と呼んだ。

その上で、こうしたニューエコノミーの矛盾に対して、三つの選択肢を提示し、

  1. 社会的副作用を生み出している技術革新や市場経済化を止める(=ネオ・ラッダイト運動)
  2. 現在進行している変化を行くところまで行かせる
  3. 両者のバランスを取る。

ライシュ自身は3.の方向性、バランシング・マッチング努力へ向かうべきとした。詳しくは技術的特異点を参照のこと。

脚注[編集]

  1. ^ "Luddites and Luddism" extract from Binfield, Kevin ed., Writings of the Luddites Baltimore, Maryland: The Johns Hopkins University Press, 2004. Accessed 4 June 2008.
  2. ^ Anstey at Welcome to Leicester (visitoruk.com) According to this source, "A half-witted Anstey lad, Ned Ludlam or Ned Ludd, gave his name to the Luddites, who in the 1800s followed his earlier example by smashing machinery in protest against the Industrial Revolution."
  3. ^ Palmer, Roy, 1998, The Sound of History: Songs and Social Comment, Oxford University Press, ISBN 978-0-19-215890-1, p. 103
  4. ^ Chambers, Robert (2004), Book of Days: A Miscellany of Popular Antiquities in Connection with the Calendar, Part 1, Kessinger, ISBN 978-0-7661-8338-4, p. 357
  5. ^ Karl Marx, Capital Vol. I, Ch. 15, Sect. 5.
  6. ^ * 2000: The Future of Success: Working and Living in the New Economy ISBN 0-375-72512-1
    邦訳:清家篤訳『勝者の代償―ニューエコノミーの深淵と未来』東洋経済新報社 2002年 ISBN 978-4492222232

関連項目[編集]

外部リンク[編集]