ラタン・タタ
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| ラタン・タタ GBE、KBE | |
|---|---|
| रतन टाटा | |
2011年のラタン・タタ | |
| タタ・サンズ会長 | |
| 任期 1991年 – 2012年 | |
| 前任者 | J・R・D・タタ |
| 後任者 | サイラス・ミストリー |
| タタ・サンズ暫定会長 | |
| 任期 2016年10月 – 2017年2月 | |
| 前任者 | サイラス・ミストリー |
| 後任者 | N・チャンドラセカラン |
| 個人情報 | |
| 生誕 | 1937年12月28日 |
| 死没 | 2024年10月9日(86歳没) |
| 親戚 | タタ家 |
| 親 | ナヴァル・タタ(父)、スーニ・コミッサリアット(母) |
| 出身校 | コーネル大学(建築学士)、ハーバード・ビジネス・スクール(上級経営者プログラム) |
| 職業 | 実業家、慈善家 |
| 受賞 |
|
ラタン・タタ(रतन नवल टाटा、英: Ratan Naval Tata、1937年12月28日 - 2024年10月9日)は、インドの実業家、慈善家。タタ・グループの持株会社であるタタ・サンズの会長を務めるとともに、タタ・トラストの会長としてグループの慈善活動を主導した。また、タタ・スチール、タタ・モーターズ、タタ・コンサルタンシー・サービシズ、タージ・ホテルズ・リゾーツ&パレスなど、タタ・グループ主要企業でも社長・会長を務めた。
人物
[編集]イギリス領インド帝国(当時)のボンベイに、同国で最も有名で富裕な一族であるタタ一族のもとに生まれた。タタ・グループの創始者といえるジャムシェトジー・タタは、ラタンの曽祖父である。ラタンはコーネル大学(アメリカ・ニューヨーク州)を1962年に卒業(学位は構造力学)し、1975年にハーバード・ビジネス・スクールのアドバンスド・マネジメント・プログラム(AMP)を修了した。ラタンが初めてタタ・グループに加わったのは1962年であり、それはIBMでの勤務を辞めた後であった。2012年4月29日付で、日印経済関係の発展への貢献により日本政府から旭日大綬章が伝達された[1]。2014年にはボアオ・アジア・フォーラムの理事に選ばれ[2]、中国の清華大学経済管理学院顧問委員でもある[3]。2018年にスウォンジー大学名誉博士号を授与された。
脚注
[編集]- ↑ “日印経済強化で旭日大綬章 ラタン・タタさん”. 日本経済新聞. 2012年6月21日. 2026年7月2日閲覧.
- ↑ “Ratan Tata appointed board member of China-backed Boao Forum”. The Economic Times. 2014年11月4日. 2017年5月11日閲覧.
- ↑ “清华大学经济管理学院-顾问委员会名单”. 清華大学経済管理学院. 2017年11月24日閲覧。
- ↑ “Ratan Tata death news Live Updates”. The Hindu (Indian English). 2024年10月9日. ISSN 0971-751X. 2024年10月10日閲覧.
- ↑ “ノエル氏がタタ慈善組織の会長に ラタン・タタ氏の後任”. 日本経済新聞. 2024年10月11日. 2026年7月2日閲覧.