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ラタン・タタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラタン・タタ
GBEKBE
रतन टाटा
2011年のラタン・タタ
タタ・サンズ会長
任期
1991年  2012年
前任者J・R・D・タタ
後任者サイラス・ミストリー
タタ・サンズ暫定会長
任期
2016年10月  2017年2月
前任者サイラス・ミストリー
後任者N・チャンドラセカラン
個人情報
生誕 (1937-12-28) 1937年12月28日
自由インドの旗 自由インドボンベイ管区英語版ボンベイ(現:インドマハーラーシュトラ州ムンバイ
死没 (2024-10-09) 2024年10月9日(86歳没)
インドの旗 インドマハーラーシュトラ州ムンバイ
親戚タタ家
ナヴァル・タタ(父)、スーニ・コミッサリアット(母)
出身校コーネル大学建築学士英語版)、ハーバード・ビジネス・スクール(上級経営者プログラム)
職業実業家慈善家
受賞

ラタン・タタ(रतन नवल टाटा、: Ratan Naval Tata1937年12月28日 - 2024年10月9日)は、インド実業家慈善家タタ・グループの持株会社であるタタ・サンズの会長を務めるとともに、タタ・トラストの会長としてグループの慈善活動を主導した。また、タタ・スチールタタ・モーターズタタ・コンサルタンシー・サービシズタージ・ホテルズ・リゾーツ&パレスなど、タタ・グループ主要企業でも社長・会長を務めた。

人物

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イギリス領インド帝国(当時)のボンベイに、同国で最も有名で富裕な一族であるタタ一族のもとに生まれた。タタ・グループの創始者といえるジャムシェトジー・タタは、ラタンの曽祖父である。ラタンはコーネル大学(アメリカ・ニューヨーク州)を1962年に卒業(学位は構造力学)し、1975年にハーバード・ビジネス・スクールのアドバンスド・マネジメント・プログラム(AMP)を修了した。ラタンが初めてタタ・グループに加わったのは1962年であり、それはIBMでの勤務を辞めた後であった。2012年4月29日付で、日印経済関係の発展への貢献により日本政府から旭日大綬章が伝達された[1]。2014年にはボアオ・アジア・フォーラムの理事に選ばれ[2]中国清華大学経済管理学院顧問委員でもある[3]。2018年にスウォンジー大学名誉博士号を授与された。

2024年10月9日、7日から入院中の南ムンバイの病院で死去。86歳没[4]

2024年10月9日に死去した後、タタ・トラスト会長は異母弟のノエル・タタが引き継いだ。[5]

脚注

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  1. “日印経済強化で旭日大綬章 ラタン・タタさん”. 日本経済新聞. 2012年6月21日. 2026年7月2日閲覧.
  2. “Ratan Tata appointed board member of China-backed Boao Forum”. The Economic Times. 2014年11月4日. 2017年5月11日閲覧.
  3. 清华大学经济管理学院-顾问委员会名单”. 清華大学経済管理学院. 2017年11月24日閲覧。
  4. “Ratan Tata death news Live Updates”. The Hindu (Indian English). 2024年10月9日. ISSN 0971-751X. 2024年10月10日閲覧.
  5. “ノエル氏がタタ慈善組織の会長に ラタン・タタ氏の後任”. 日本経済新聞. 2024年10月11日. 2026年7月2日閲覧.

関連項目

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