ラサ工業

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ラサ工業株式会社
Rasa Industries, LTD
Daibiru Yaesu 2009.jpg
本社のある八重洲ダイビル
種類 株式会社
市場情報
本社所在地 日本の旗 日本
104-0031
東京都中央区京橋1-1-1 八重洲ダイビル
設立 1918年(大正7年)6月26日
業種 化学
法人番号 8010001034971
事業内容 化成品、機械、電子材料
代表者 庄司宇秀(取締役社長)
資本金 62億3千万円
売上高 連結:32,267百万円
単独:28,259百万円
(2009年3月期)
従業員数 連結:721名
単独:604名
(2006年3月末)
決算期 3月末
関係する人物 恒藤規隆(創業者)
外部リンク http://www.rasa.co.jp/
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ラサ工業株式会社(Rasa Industries, LTD)は、日本化学メーカー。

社名は、1907年(明治40年)にラサ島(沖大東島)で肥料の原料となるリン鉱石を採掘したことに由来する。リン鉱石の採掘が行われなくなった現在でも沖大東島全体がラサ工業の私有地となっている。化学肥料を軸に鉱山非鉄金属製錬石炭採掘、化学事業(硫酸リン化合物製造)、鉱山・工業機械製造と有機的な複合事業を行っていた。ラサ島の他に、岩手県田老鉱山宮崎県見立鉱山山形県田川炭鉱を所有・経営していた。また、戦前には沖縄県の慶良間諸島屋嘉比島及び久場島で慶良鉱山(銅)を、南沙諸島(スプラトリー諸島、当時は「新南群島」と呼称)で燐鉱採掘をおこなっていた他、鯛生金山を経営していた鯛生産業と合併した関係から大分県や鹿児島県に金山を複数所有していた時期もあった。

現在は祖業である肥料・鉱山・製錬・硫酸事業からは撤退しており、化成品、機械、電子材料を軸として事業を展開している。シリコンウェハー再生事業では世界的な大手メーカーであったが、2010年度末を以て同事業から撤退した。

なお、ラサ商事は同社の商社部門子会社として設立されたが、後に大平洋金属系となり、現在は独立系の商社となっている(ラサ工業・大平洋金属との取引関係は続いている)。

沿革[編集]

  • 1907年 - 恒藤規隆、ラサ島(沖大東島)に調査隊を派遣する[1]
  • 1910年10月1日 - 恒藤規隆、ラサ島開拓のため九鬼紋七らとともに日本産業商会を設立[2]
  • 1911年2月28日 - 恒藤規隆、ラサ島燐礦(りんこう)合資會社を設立[3]
    • 4月22日 - 恒藤規隆、ラサ島に初上陸[3]
    • 5月1日 - ラサ島鉱業所設立[4]
  • 1913年5月 - ラサ島燐礦株式會社設立[5]
  • 1918年 - 1919年 - 初めて南沙諸島の調査を行う。1921年、「新南群島」と命名し長島(イツアバ島)に出張所を開設するが、1929年4月撤退[6][注釈 1]
  • 1920年5月 - 大阪晒粉株式会社を吸収合併し、大阪工場にて過リン酸石灰の製造を開始する[5]
  • 1934年3月 - 社名をラサ工業株式会社と改称[5]
  • 1936年11月 - 田老鉱業所開設[5]
  • 1937年4月16日 - 沖大東島の払下げを受ける[8]
  • 1941年9月 - 鯛生産業株式会社(大分県鯛生金山を経営)と合併[5]。社名も同社に変更。
  • 1944年 - 鯛生金山など保有する金山を全て国策の鉱山会社・帝国鉱業開発株式会社に譲渡。
    社名を東亜鉱工株式会社に変更。
    • 1944年 - ラサ島鉱業所閉鎖[8]
  • 1949年 - 社名をラサ工業に戻す[9]
  • 1959年 - 系列下にあった東洋鉱山株式会社を吸収合併。同社の見立鉱山、大峰鉱山(岩手県)、大分製錬所を取得。
  • 1971年12月 - 鉱山事業より撤退[5]
  • 1973年10月 - 沖大東島の所有権が再確認される[10][注釈 2]
  • 1983年4月 - 肥料部門をコープケミカルに営業譲渡[5][12]
  • 1984年1月 - 大阪工場でシリコンウェハー再生事業に着手[5]
  • 2010年1月 - 日本シーアールアイ株式会社を吸収合併、NCRI営業部設置[5]
    • 12月 - シリコンウェハー再生事業より撤退[5]

工場[編集]

関連会社[編集]

国内[編集]

  • 株式会社東北ラサ機械製作所
  • ラサ晃栄株式会社
  • ラサ建設工業株式会社
  • ラサスティール株式会社

海外[編集]

  • RASA ELECTRONICS,INC.
  • 理盛精密科技股份有限公司

かつての子会社[編集]

  • ラサ商事株式会社 ‐ 前述の通り、現在は独立系である。
  • ラサ興発株式会社 ‐ 此花区でラサ・スポーツセンターを運営していた(1984年3月閉鎖)。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ラサ島燐礦による開拓の時点では、日本政府は「新南群島」に対する公式な領有宣言を行っていない。撤退後の1939年になって領有を宣言したが、1952年、サンフランシスコ講和条約の発効にともない領有権を放棄している[7]
  2. ^ 沖大東島は1956年以後、在日米軍沖大東島射爆撃場として利用している。ラサ工業は防衛施設庁を介して返還を求めているが、実現していない[11]

出典[編集]

  1. ^ ラサ工業 1993, p. 19.
  2. ^ ラサ工業 1993, p. 20.
  3. ^ a b ラサ工業 1993, p. 21.
  4. ^ ラサ工業 1993, p. 23.
  5. ^ a b c d e f g h i j 沿革”. ラサ工業株式会社. 2017年10月27日閲覧。
  6. ^ ラサ工業 1993, pp. 45-48.
  7. ^ ラサ工業 1993, pp. 48-49.
  8. ^ a b ラサ工業 1993, p. 235.
  9. ^ ラサ工業”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンク. 2017年10月29日閲覧。
  10. ^ ラサ工業 1993, p. 236.
  11. ^ ラサ工業 1993, pp. 235-238.
  12. ^ 沿革”. 片倉コープアグリ株式会社. 2017年10月27日閲覧。

参考文献[編集]

  • ラサ工業株式会社社史編纂室編 『ラサ工業80年史』 ラサ工業、1993年5月 

関連文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]