ラクイラ

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ラクイラ
L'Aquila
ラクイラの風景
Piazza del Duomo(2007年8月)
ラクイラの紋章
紋章
行政
イタリアの旗 イタリア
アブルッツォ州の旗 アブルッツォ
Blank.png ラクイラ
CAP(郵便番号) 67100
市外局番 0862
ISTATコード 066049
識別コード A345
分離集落 #行政区画参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 66,905 [1](2012-01-01)
人口密度 143.3 人/km2
文化
住民の呼称 aquilani
守護聖人 San Massimo, Sant'Equizio, Celestino V
祝祭日 6月10日
地理
座標 北緯42度21分14.43秒 東経13度23分31.17秒 / 北緯42.3540083度 東経13.3919917度 / 42.3540083; 13.3919917座標: 北緯42度21分14.43秒 東経13度23分31.17秒 / 北緯42.3540083度 東経13.3919917度 / 42.3540083; 13.3919917
標高 714 (575 - 2635) [2] m
面積 466.96 [3] km2
ラクイラの位置(イタリア内)
ラクイラ
ラクイラの位置
ラクイラ県におけるコムーネの領域
ラクイラ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
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ラクイライタリア語: L'Aquila ( 音声ファイル))は、イタリア共和国中部にある都市で、その周辺地域を含む人口約6万7000人の基礎自治体コムーネ)。アブルッツォ州の州都で、ラクイラ県の県都でもある。

ラクイラはアペニン山脈の盆地にできた標高714メートルの都市で、イタリアの州都としては最も高い位置にある。

また、ラクイラ大学(University of L'Aquila)など学問の街としても知られている。

2009年4月には、ラクイラ地震(イタリア中部地震)による大きな被害を受けた。同年7月、復興支援を取り付ける意味合いからラクイラで主要国首脳会議(サミット)が開催された。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

ラクイラ県北部に位置する。

ラクイラ県概略図

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。

歴史[編集]

1254年に都市として創建され、当時の名はアクイラAquila, ワシの意)といった。都市の勅許はシチリア王コッラード1世(皇帝コンラート4世)によって与えられた。1861年からアクイラ・デッリ・アブルッツィと称し、1939年から現在の名称となった。

市はこの土地にあった多くの村の連合によって創建された。地元の伝説では99の村が集まったという。それぞれの村は都市の中に自分の区画をもち、母胎となった村と結ばれていた。中世以来シチリア王国、後にはナポリ王国の支配を受ける自治都市であったが、短期間教皇領となったこともある。

シチリア王国中、パレルモに次いで2番目に勢力があり、経済的にも繁栄した都市であったが、16世紀に衰えた。

地震[編集]

ラクイラはイタリアの中でも地震の多い場所で、1703年に起きた地震が最も壊滅的なものだった。 [4] 2009年4月6日ラクイラ地震で大きな被害を受け308人の死者が出た。そこで、イタリア政府は国際的な被災地支援を狙い、同年7月に同国がホスト国となる主要国首脳会議の開催地を地中海の保養地ラ・マッダレーナから急遽ラクイラに変更した[5][6]

行政[編集]

行政区画[編集]

ラクイラには以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

観光[編集]

今日、ラクイラは観光地となっている。主な観光地は、ロマネスク様式のコッレマッジョ大聖堂(ここで教皇ケレスティヌス5世は戴冠し、また葬られた)やルネサンス様式のサン・ベルナルディーノ聖堂、中世に作られた99の水管を持つ99の噴水、16世紀に建てられたスペイン様式の城砦であるスペイン要塞などである。そしてラクイラの母胎となった数々の村が主要な観光資源である。

99の噴水
99の噴水
サン・ベルナルディーノ大聖堂
コッレマッジョ大聖堂

また、ラクイラ地震を受けて坂茂により建てられた紙管でできた音楽ホールなどがある。

文化[編集]

食文化[編集]

言語[編集]

ラクイラでは、ラクイラ方言it:Dialetto_aquilanoが話されている。 話者は、ラクイラ周辺およびラツィオ州リエーティなどに約10万人いるとされる。

姉妹都市[編集]

スポーツ[編集]

人物[編集]

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]