ラキム

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Rakim allah.jpg

ラキム(フルネームは ラキム・アラー Rakim Allah 1968年1月28日 - )は、ニューヨーク州ワイアンダンチ出身のラッパー。本名、ウイリアム・マイケル・グリフィンJr.。優れたリリックでヒップホップの歴史上、特に影響力のあったラッパーの1人として挙げられることもある。

経歴[編集]

R&B歌手、ルース・ブラウンの甥であるラキムは、若い頃からニューヨークのヒップホップ界に関わることになった。1984年には、イスラム教団体「ネイション・オブ・ゴッズ・アンド・アースズ」に入会し、名をラキム・アラーと改名した。

エリックB&ラキム[編集]

1985年、エリックBと共に活動を開始した。エリックB&ラキムという名で活動し、ヒップホップ史の中で「ゴールデンエイジ・ヒップホップ」と呼ばれる時代において、最も名の知れた存在、さらに後に影響を与える存在となった。ラキムの登場以前、ヒップホップの詞は、DJが流す音楽に自ら即興で言葉を被せることから始まったという起源から抜け出せずにいた。つまり、規則的な拍子と押韻(Run-D.M.C.カーティス・ブロウなど)、単純な詞の内容を、最初から最後まで力強くラップしていた。その中でラキムは、サックスジャズを演奏しながら、自身の詞の流れの原型を形作ろうと試行錯誤していた、と語っている。

1991年に発表され92年に黒人ラジオでオンエアされたラキムの「ドント・スウェット・ザ・テクニック」のリリックには、『科学者たちは本質を見出そうとしている。哲学者たちは未来を予測しようとしている。そのために、連中は研究室に篭りっきりだ。しかしやつらは、それを呑み込めなかったし、そうする資格も持っていなかった。自分の思想は、自分の音楽を聴く者たちのためにある。さらに自分に反対する人々のためにある。すぐに受け入れられるようなものではない』と表現されている。同曲はウッド・ベースを強調し、ジャズ・ラップ的要素を持った曲だった。1980年代から1990年代前半、暴力が氾濫していた街中で、多くのラッパーたちが自らの楽曲に、教訓的な要素を込めることに共感した。そしてラキムは、逐語的/比喩的の両方を駆使したラップを発表した。

2000年代になってオールミュージックガイドに掲載されたスティーブ・ヒューイの記事によれば、ラキムは最もグレイトなMCの一人であり、彼のライムの流れは滑らかで流暢、バックトラックの旋律と共に調子を変えていく、さらに落ち着き払った様子で、まるで汗もかかずにパフォーマンスをしているかのようだと記述している[1]。デューク大学のマーク・アンソニー・ニールは、ラキムのライム/リリックに最大級の賛辞を与えている[2]

ラキムのライムには、表面的な主題の先に、さらに深い比喩的な主張が込められていることもある。例えば、ラッパーとしてのラキムは、精神的・道徳的教師のようである(ただし、他のラッパーはラキムがドラッグをやっていたと指摘)。また、ラキムが批判したラッパーたちは、知恵の道を歩むこと(生きる知恵)を拒否する人々を象徴している。

ソロ活動[編集]

活動開始から4枚のアルバムを発表した後、1992年、エリックB&ラキムは、袂を分かつことになった。その原因は、印税に加え、レコードレーベルやエリックBとの契約、などが拗れてしまったことにある。それから4年間、ラキムはアルバムを発表することはなかった。

1997年、アルバム「ザ・エイティーンス・レター」を引さげて復活を果たした。その中で、DJプレミアピート・ロックとの競演を果たしている。このアルバムには2種類の版が存在し、1つには「ザ・ブック・オブ・ライフ」と名づけられたエリックB&ラキム時代のベスト版がセットになっている。アルバムは評判を集め50万枚を売り上げた。1999年、アルバム「ザ・マスター」を発表するも、ビルボード誌のアルバム チャートで50位以内に入れず前作ほどの商業的な成功を収めることはできなかった。アルバムの評価自体も、賛否両論だった。

2000年代初め、ラキムはドクター・ドレーのレコードレーベルであるアフターマス・エンターテインメントと契約した。アルバム「オー・マイ・ゴッド」(仮称)の制作に取り組んでいたが、幾度もの音楽的方向性や参加メンバーの変更を経て、発売が遅れていた。ラキムは、このアルバム制作を行いながら、アフターマスが関わった数多くの企画に参加している。例えば、トゥルース・ハーツのヒットシングル「アディクティブ」、ドクター・ドレがプロデュースを行ったジェイZの「ザ・ウォッチャー・パート2」、エミネム主演映画8 Mile」のサウンドトラックなどである。

しかし2003年、ドクター・ドレーとの音楽性のズレを理由に、ラキムはアフターマスを去り、「オー・マイ・ゴッド」の発売は無期限に延期されることになってしまった。2004年 4月27日、彼は子どもの養育問題で逮捕された。14歳の息子の養育費として2000ドルを支払うことに同意し、翌日彼は釈放された。しかしこの結果、当日の夜に予定されていたローズランド・ボールルームでのウータン・クランのパフォーマンスへの参加は中止された。2004年、ラキムは新しいアルバムの制作に取り組んでいると語ったが、2006年現在、そのアルバムは発表されていない。

最近では、「ゲッテング・アップ・アンセム・パート1」での競演を契機として、タリブ・クウェリのレーベルと契約するのではないかという噂が流れている。あらゆる噂は実現に至っていないが、ラキムは配給を受けるレーベルを検討中であることを明言している。ラキムの最新アルバムの名前は、「ザ・セブンス・シール」と言われている。但し、これもどのレコード会社との契約で発売されるのか、未だ正式な発表はされていない。

ディスコグラフィ[編集]

アルバム(Eric B. & Rakim名義)[編集]

ソロ・アルバム[編集]

  • The 18th Letter (1997)
  • The Master (1999)
  • The Archive: Live, Lost & Found (2008)
  • The Seventh Seal (2009)
  • TBA (2013)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ この記事の中でヒューイは、ラキームにお最大級の賛辞を送っている。http://www.allmusic.com/artist/rakim
  2. ^ http://sites.duke.edu/dcore/tag/eric-b-and-rakim/