ラウール・タムード

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はタムード第二姓(母方の)はモンテーロです。
ラウル・タムード Football pictogram.svg
Tamudo sabadell ago 2014.JPG
サバデル時代のタムード (2014年)
名前
本名 ラウル・タムード・モンテーロ
Raúl Tamudo Montero
ラテン文字 Raúl TAMUDO
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1977-10-19) 1977年10月19日(40歳)
出身地 サンタ・クローマ・ダ・グラマネート
身長 180cm
体重 74kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 右足
ユース
1992-1996 スペインの旗 エスパニョール
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1998 スペインの旗 エスパニョールB 46 (20)
1997-2010 スペインの旗 エスパニョール 340 (129)
1998 スペインの旗 アラベス (loan) 6 (0)
1999 スペインの旗 リェイダ (loan) 14 (5)
2010-2011 スペインの旗 レアル・ソシエダ 31 (7)
2011-2012 スペインの旗 ラーヨ・バジェカーノ 32 (9)
2012 メキシコの旗 パチューカ 9 (0)
2013 スペインの旗 ラーヨ・バジェカーノ 4 (1)
2013-2015 スペインの旗 サバデル 32 (8)
代表歴
1997 スペインの旗 スペイン U-20 1 (0)
1998-2000 スペインの旗 スペイン U-21 11 (5)
2000 スペインの旗 スペイン U-23 6 (1)
2000-2007 スペインの旗 スペイン 13 (5)
1998-2000 カタルーニャ州の旗 カタルーニャ 2 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ラウル・タムード・モンテーロRaúl Tamudo Montero1977年10月19日 - )は、スペインカタルーニャ州サンタ・クローマ・ダ・グラマネート出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW。元スペイン代表

経歴[編集]

クラブ[編集]

RCDエスパニョール

地元のRCDエスパニョールの下部組織出身で、1997年3月にトップチームに昇格した。デポルティーボ・アラベスUEリェイダに計1シーズン半の間レンタル移籍し、1999-2000シーズンにRCDエスパニョールに復帰すると、そのシーズンのコパ・デル・レイでは決勝に進出し、アトレティコ・マドリードのGKトニ・ヒメネスからボールを奪ってゴールを決めた[1]。2001年にはスコットランドのレンジャーズFCと契約する寸前まで至ったが[2]、メディカルチェックにひっかかったためにすんでのところで移籍は取りやめられた。移籍話が破談になった直後のUEFAカップグラーツァーAK(オーストリア)戦でハットトリックを達成し、4-0の快勝で勝ち抜けを決めた。2003-04シーズンにはキャリアハイの19得点を挙げた。

2006年1月15日のレアル・ソシエダ戦(1-0)では後半ロスタイムに決勝点を挙げ、RCDエスパニョールでの公式戦通算100得点を達成した[3]。2006年4月12日に行われたレアル・サラゴサとのコパ・デル・レイ決勝では試合開始2分に先制点を決め、さらにルイス・ガルシアの得点をアシストして優勝に貢献した。2006-07シーズン序盤戦にはプリメーラ・ディビシオン通算100得点を達成した。第37節はFCバルセロナとのバルセロナ・ダービーであったが、このカンプ・ノウでの2得点でプリメーラ・ディビシオン通算112得点に達し、1970年代から1980年代初めに活躍したFWラファ・マラニョンが保持していたRCDエスパニョールの最多得点記録(111得点)を塗り替えた。リーグ戦で2位につけていたFCバルセロナを破ったことにより、首位レアル・マドリードのリーグ優勝を決定づけた。同シーズンのUEFAカップでは7試合に出場して2得点を挙げ、決勝で敗れたセビージャFCに次ぐ準優勝に貢献した。2007-08シーズンと2008-09シーズンは負傷の影響でコンディションを落とし[4][5]、2008-09シーズン中盤戦からはウルグアイ人FWイバン・アロンソにポジションを譲った。しかし、シーズン最終節のマラガCF戦ではハットトリックを達成し、観客からスタンディング・オベーションが贈られた。このハットトリックで、2000-01シーズンから続けていた連続二桁得点記録を9シーズンに伸ばした。

2009-10シーズンは度重なる怪我やかつてのチームメイトであるマウリシオ・ポチェッティーノ監督との不仲、契約を巡ってのクラブ首脳陣との対立などで悲惨なシーズンとなった[6][7]。冬の移籍期間にアルゼンチン人FW(現・イタリア代表)パブロ・ダニエル・オスヴァルドが加入するとタムードの立場はますます悪くなり、結局リーグ戦6試合に出場して無得点に終わった。2000-01シーズンから2008-09シーズンまで9シーズン連続で達成していた2桁得点は途切れたが、クラブ歴代最多の340試合に出場し、やはりクラブ歴代最多の129得点を挙げた[8]エスタディ・コルネリャ=エル・プラットでのラストゲームとなった2010年5月8日のCAオサスナ戦後にはファンからの声援が止まず、チームメイトに胴上げされて送られた。

レアル・ソシエダ

2010年8月初頭、4シーズンぶりにプリメーラ・ディビシオン(1部)に復帰したレアル・ソシエダと1年契約を結んだ[9]。デビュー戦は2010-11シーズン開幕戦となった8月29日のビジャレアルCF戦で、後半途中にホセバ・ジョレンテとの交代で出場した。9月13日のUDアルメリア戦ではヘディングで移籍後初得点を決め[10]、その試合に続くレアル・マドリード戦とCAオサスナ戦でも得点した。

ラーヨ・バジェカーノ

レアルから契約延長はオファーはなく、1年でチームを去ることとなった。2011年8月25日、昇格組のラーヨ・バジェカーノと1年契約を結んだ[11]。2011-12シーズン最終節となった2012年5月13日のグラナダCF戦で、後半ロスタイムに、チームを残留へと導く先制ゴールを決めた。[12]

代表[編集]

2000年夏にはU-23スペイン代表としてシドニーオリンピックに出場し、準決勝のアメリカ戦で得点するなど活躍し、銀メダルを獲得した。2000年8月16日のドイツ戦でスペインA代表デビューした。2005年秋から2年間は招集されなかったが、2007年10月13日に行われたUEFA欧州選手権2008予選デンマーク戦で2年ぶりに代表に復帰し、重要な得点を挙げた。

所属クラブ[編集]

スペインの旗 デポルティーボ・アラベス 1997-1998(loan
スペインの旗 UEリェイダ 1998-1999(loan)

タイトル[編集]

クラブ[編集]

RCDエスパニョール

代表[編集]

U-23スペイン代表

脚注[編集]

  1. ^ Toni se reencuentra con TamudoEl País、2003年1月19日
  2. ^ Keeper in, Tamudo out at IbroxBBC Sport、2000年10月21日
  3. ^ クラブ記録を狙うタムードUEFA.com、2006年1月17日
  4. ^ Tamudo blow for high-flying EspanyolUEFA.com、2008年1月23日
  5. ^ Tamudo blow leaves Espanyol reelingUEFA.com、2008年12月4日
  6. ^ Tamudo: "Estoy muy, muy, muy indignado con el club. No merezco el trato recibido"Marca、2009年10月15日(スペイン語)
  7. ^ コラム:タムード残留の道は残されているか”. Goal.com (2009年11月21日). 2009年11月21日閲覧。
  8. ^ 週刊リーガ新聞 5月12日WOWOW、週刊リーガ新聞、2010年5月12日
  9. ^ タムードがソシエダに加入Goal.com、2010年8月1日
  10. ^ タムード、移籍後初ゴールもドロー決着サッカーキング、2010年9月14日
  11. ^ Vallecano take Tamudo Skysports、2011年8月26日
  12. ^ ラージョを残留に導いたタムード、「サッカーは公平だった」 - Goal.com

外部リンク[編集]