ヨン・アルネ・リーセ
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名前 | ||||||
本名 | ヨン・アルネ・セムンセート・リーセ John Arne Semundseth Riise |
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愛称 | ジョニー | |||||
ラテン文字 | John Arne RIISE | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1980年9月24日(37歳) | |||||
出身地 | モルデ | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (LSB) / MF (LSH) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1996 | ![]() |
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クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-1998 | ![]() |
25 | (5) | |||
1998-2001 | ![]() |
44 | (4) | |||
2001-2008 | ![]() |
234 | (21) | |||
2008-2011 | ![]() |
99 | (7) | |||
2011-2014 | ![]() |
87 | (0) | |||
2014-2015 | ![]() |
25 | (4) | |||
2015-2016 | ![]() |
15 | (1) | |||
2016 | ![]() |
10 | (0) | |||
通算 | 539 | (42) | ||||
代表歴2 | ||||||
1996 | ![]() |
9 | (2) | |||
1997 | ![]() |
5 | (2) | |||
1997 | ![]() |
2 | (0) | |||
1998 | ![]() |
4 | (0) | |||
1999 | ![]() |
1 | (0) | |||
1998-2000 | ![]() |
17 | (2) | |||
2000-2013 | ![]() |
110 | (16) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年6月14日現在。 2. 2014年9月4日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ヨン・アルネ・セムンセート・リーセ(John Arne Semundseth Riise, 1980年9月24日 - )は、ノルウェーのモルデ出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダーで、主に左サイドバックを務める。左サイドハーフとしてミッドフィールダーで起用されることもあった。
サッカーノルウェー代表の最多出場記録の保持者である。実弟のビヨルン・ヘルゲ・リーセもサッカー選手である。
経歴[編集]
地元のオーレスンFKでキャリアをスタートさせた。デビューして間もない1998年にフランスのASモナコに引き抜かれた。モナコには3シーズン在籍。3シーズン目の1999-00シーズンにはリーグ優勝に大きく貢献し、2001年7月1日にリヴァプールFCへ移籍した[1] 。
リヴァプールに移籍後、当時の監督ジェラール・ウリエと起用法をめぐって対立。出場機会に恵まれない不遇の日々を過ごした。 しかし、2004年に監督がラファエル・ベニテスに代わるとすぐにレギュラーとして活躍。2004-05シーズンには、ハリー・キューウェルの長期離脱のため左サイドハーフを任され、9ゴールを記録。UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05決勝でも左サイドハーフとして先発出場。決勝はACミランを相手に3点のビハインドを追いついての劇的なPK戦勝利で、この大会の優勝に貢献した。2005-06年FAカップでは準決勝チェルシー戦でゴールを決め、決勝でもPKを成功させ、優勝に貢献した。
その後、2006-07シーズンのコミュニティ・シールドでは、対戦相手チェルシーのCKのこぼれ球を拾い、自陣の深い位置から1人でドリブルで攻め上がり、得意のミドルシュートで先制ゴールを決めた。2006年にバレンシアCFから移籍してきたファビオ・アウレリオにレギュラーを奪われたことや後述のオウンゴールから、2008年6月18日に移籍金500万ユーロでイタリアのASローマへ移籍。移籍当初はイタリアサッカーに慣れず苦しんだが、徐々に適応しレギュラーを獲得。2009年3月1日のインテル戦で移籍後初ゴールを記録。3月11日のUEFAチャンピオンズリーグ 2008-09決勝トーナメント1回戦のアーセナルFC戦では負傷したフアンの代わりに急遽CBに入り穴を埋めて見せるなど攻守に活躍し、この試合のマンオブザマッチに選ばれた(ただしローマはPK戦の末敗退)。
2011年7月6日に3年契約でフラムFCに移籍。イングランドには3シーズンぶりの復帰となる。なお、これによって弟ビヨルンと同じチームに所属することとなった。
エピソード[編集]
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- UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05の準決勝でチェルシーFCを破った試合終了後、興奮の絶頂にあったリーセは、突然着ていたユニフォームを脱ぎだし、パンツまで脱ごうとしていたところをリバプールの関係者に取り押さえられた。冷静さを取り戻した本人はこの出来事を「危なかった。」と振り返っている。ただし、この試合に限らず、自らがゴールするとユニホームを脱いで喜びを露わにする癖がある。
- 赤毛のため、リヴァプール移籍直後は「ジンジャー」というニックネームを付けられたが、本人曰く「ノルウェーではこれくらいの赤毛は全く珍しくないので、何故自分が『ジンジャー』と呼ばれているのか分からなかった」とのこと。
- UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07決勝トーナメント1回戦のFCバルセロナ戦前日に、1週間ほど前の合宿の打ち上げパーティで「カラオケを歌わなかった」という理由で、クレイグ・ベラミーにゴルフクラブで足を殴られたとイギリス各紙で報道された。しかしその翌日の試合で、殴った張本人のベラミーからのパスを受け、2点目のゴール決め、勝利に貢献している。
- UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08準決勝1stleg、ホームでのチェルシー戦では1-0とリードした後半ロスタイムに、相手のクロスをクリアしようとしてダイビングヘッドをするもオウンゴールとなってしまい、引き分けに終わる。結局アウェーでは延長戦の末1点差で敗れ、リヴァプール敗退の戦犯となってしまった。
- リヴァプール時代のチームメイトであり、同クラブで長らくキャプテンを務めたスティーヴン・ジェラードを尊敬している。
- 2009年10月22日のUEFAヨーロッパリーグ・グループリーグのフラム戦では弟のビヨルンとともに揃って先発出場を果たした。
- UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11決勝トーナメント1回戦1stleg、ホームでのFCシャフタール・ドネツク戦で、自陣左サイドにおいて体勢を崩して転倒した隙に相手にボールを奪われてそのまま失点。結局チームは2-3で敗れ、敵地での2ndlegでも0-2で敗戦し準々決勝進出を逃してしまった[5]。
所属クラブ[編集]
オーレスンFK 1998
ASモナコ 1998-2001
リヴァプールFC 2001-2008
ASローマ 2008-2011
フラムFC 2011-2014
APOELニコシア 2014-2015
デリー・ディナモスFC 2015-2016
オーレスンFK 2016
タイトル[編集]
クラブ[編集]
- フランスリーグ・アン : 1 (1999-00)
- トロフェ・デ・シャンピオン : 1 (2000-01)
- FAカップ : 1 (2005-06)
- カーリングカップ : 1 (2002-03)
- UEFAチャンピオンズリーグ : 1 (2004-05)
- コミュニティーシールド : 2 (2001, 2005)
- UEFAスーパーカップ : 1 (2001, 2005)
個人[編集]
- ノルウェー最優秀選手賞 : 1 (2006)
脚注[編集]
- ^ “Liverpool win chase for Riise”. BBC Sport (2001年6月20日). 2008年6月19日閲覧。
- ^ リーセがノルウェー代表引退を発表Goal.com 2013年5月7日
- ^ リーセがキプロスへGoal 2014年9月2日
- ^ John Arne Riise retires from footballLiverpoolfc.tv: Official Web Site 2016年6月13日
- ^ リーセ、失点につながる大失態を謝罪Goal.com 2011年2月17日
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