ヨハン・パリサ
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ヨハン・パリサ(Johann Palisa, 1848年12月6日 - 1925年5月2日)は、19世紀から20世紀にかけて活躍したオーストリアの天文学者である。シレジアのトロッパウ(現在のチェコ共和国オパヴァ)出身。1872年からトリエステ・ポーラのポーラ海軍天文台で勤務したのち、1880年からウィーン大学のウィーン天文台で活躍した。
彼は非常に多くの小惑星を発見しており、1874年から1923年まで122個も発見した[1]。また一晩で小惑星を3つ新発見した日もある。1883年にはタヒチへ遠征して日食観測を行っている。また星表の製作も行っている。
1925年にウィーンで死去した。享年76。
(914)パリサナ[2]、月のクレーター・パリサは彼に因んで命名された。
脚注
[編集]- ^ “Minor Planet Discoverers”. MPC. 2021年7月24日閲覧。
- ^ “(914) Palisana = 1904 PB = 1916 WC = 1919FN”. MPC. 2021年7月24日閲覧。