ユーリー・ウラジミロヴィチ (ピンスク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユーリー・ウラジミロヴィチ
Юрий Владимирович
ピンスク公
在位 13世紀後半

死去 1292年
家名 リューリク家
父親 ピンスク公ウラジーミル・グレボヴィチ
テンプレートを表示

ユーリー・ウラジミロヴィチロシア語: Юрий Владимирович ? - 1292年)は、トゥーロフ・イジャスラフ朝(キエフ大公イジャスラフ1世の子孫)出身者としては最後のピンスク公となった人物である。

ユーリーはピンスク公ウラジーミルの子であり、フョードルデミドという兄がいた。1262年に彼ら三兄弟は、ガーリチ・ヴォルィーニ公ヴァシリコの、ネブラでのリトアニア大公国への勝利を祝ったという記述がある。また、死の間際の年代記における描写には、温良、謙虚、誠実な人物であったと記されている。なおムィハーイロ・フルシェーウシクィイの見解では、ユーリーの死は1288年もしくは1289年のことであるという。

参考文献[編集]

関連項目[編集]