ユルゲン・モーザー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ユルゲン・K・モーザー
Jürgen Moser retouched.jpg
ユルゲン・モーザー(1969)
生誕 (1928-07-04) 1928年7月4日
ケーニヒスベルク (プロイセン)東プロイセンプロイセン自由州, ドイツ国
死没 1999年12月17日(1999-12-17)(71歳)
シュヴェルツェンバハ英語版チューリッヒ州, スイス
市民権 アメリカ合衆国
国籍 ドイツ
研究分野 数学解析学力学系天体力学偏微分方程式複素解析
研究機関 ニューヨーク大学, MIT, チューリッヒ工科大学
出身校 ゲッティンゲン大学
博士課程
指導教員
フランツ・レリッヒ英語版
カール・ジーゲル
博士課程
指導学生
チャールズ・C・コンリー英語版
ホーカン・エリアソン英語版
他の指導学生 ポール・ラビノウィッツ英語版
主な業績 コルモゴロフ・アーノルド・モーザー定理英語版
カロデロ・モーザー系
チャーン・モーザー不変量
ジョルジ・ナッシュ・モーザー予想
モーザーのハルナック不等式
モーザーの標準形
モーザー積分
ナッシュ・モーザーの定理英語版
モーザーのトリック
モーザーのツイスト定理
影響を
受けた人物
カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビアンリ・ポアンカレジョージ・デビット・バーコフカール・ジーゲル
影響を
与えた人物
スン=ユン・アリス・チャン英語版
マイケル・ハーマン英語版
ジョン・N・マザー英語版
ピーター・サルナック
アレクサンダー・ペトロヴィッチ・ヴェセロフ
ポール・C・ヤン英語版
エドゥアルト・ツェンダー英語版
主な受賞歴

バーコフ賞英語版 (1968)
ジェームズ・クレイグ・ワトソン・メダル (1969)
ウルフ賞数学部門

(1994/1995)
カントール・メダル (1992)
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

ユルゲン・クルト・モーザーJürgen Kurt Moser1928年7月4日 - 1999年12月17日)は、ドイツ系のアメリカ合衆国の数学者で、ハミルトン力学系英語版線型偏微分方程式に関する、40年間にわたる業績で名高い。

生涯[編集]

モーザーの母親であるイルゼ・ストレールケ (Ilse Strehlke) は、バイオリニストで作曲家であるルイ・シュポーアの姪である。父親は神経学者クルト・E・モーザー (Kurt E. Moser、1895年7月21日 - 1982年6月25日) で、商人であるマックス・マインク (Max Maync、1870-1911) とクララ・モーザー (Clara Moser、1860-1934)の間に生まれた。クララは、17世紀のフランスのユグノーで、プロイセンへの移民の血を引く。モーザーの両親はドイツ帝国ケーニヒスベルク (プロイセン)に住み、第二次世界大戦の結果、東ドイツシュトラールズントに移り住んだ。モーザーは、故郷のヴィルヘルム・ギムナジウム (ケーニヒスベルク)に入学した。その高校は、数学と自然科学の教育に特化しており、1880年にダフィット・ヒルベルトが卒業している。兄であるフリードリッヒ・ロバート・エルンスト・モーザー (Friedrich Robert Ernst (Friedel) Moser、1925年8月31日 - 1945年1月14日)はドイツ陸軍 (国防軍)に従軍し、ピルカレン/シュロスベルク(Pillkallen/Schloßberg、東プロイセン)で亡くなった。

モーザーは生物学者ガートルード・C・クーラント博士 (Dr. Gertrude C. Courant、リヒャルト・クーラントの娘)と1955年9月10日に結婚した。ガートルードはカール・ルンゲの孫娘で、エミール・デュ・ボア=レーモンのひ孫娘である。二人は1960年にニューヨーク州ニューロシェルに生涯の住居を定め、ニューヨーク・シティに通勤した。1980年にスイスに移住し、チューリッヒに近いシュヴェルツェンバハ英語版に住んだ。モーザーはAkademisches Orchester Zürichの会員だった。モーザーの死後、弟の写真印刷者・処理者であるノースポート英語版在住ののクラウス・T・モーザー=マインク (Klaus T. Moser-Maync) 、妻のシアトル在住のガートルード、娘である劇場設計者のシアトル在住のニーナ・モーザー (Nina Moser) と数学者であるディジョン在住のルーシー・I・モーザー=ヤウスリン (Lucy I. Moser-Jauslin)、継息子であるニューヨーク・シティ在住の弁護士リチャード・D・エメリー (Richard D. Emery) が残った。モーザーはピアノチェロを弾き、父親がバイオリンを、母親がピアノを弾くという音楽家の家庭の伝統の中で子供の頃から室内楽を演奏した。モーザーは生涯のアマチュア天文学者で、1988年リオデジャネイロ純粋応用数学研究所英語版 (IMPA) の訪問の際に、パラグライダーを始めた。

業績[編集]

モーザーはゲッティンゲン大学で学部課程を修了し、1952年フランツ・レリッヒ英語版の下で研究し、博士号を取得した。博士論文を執筆した後、カール・ジーゲルの影響下にあり、ジーゲルと共に天体力学に関する2つ目の論文で、かなり議論を発展させた英語による研究論文を共著した。1953年をフルブライト奨学生としてニューヨーク大学クーラント数理科学研究所で過ごし、1955年アメリカ合衆国に移住し、1959年市民権を得た[1]MITの教授、そしてニューヨーク大学の教授になった。1967年から1970年の期間、ニューヨーク大学クーラント数理科学研究所の理事を務めた。1970年、プリンストン高等研究所の職のオファーを断った。1980年以後、チューリッヒ工科大学で務め、1995年名誉教授になった。1984年から1995年まで、モーザーはチューリッヒ工科大学のForschungsinstitut für Mathematikの理事を (最初の2年間はアルマン・ボレルとオフィスを共有した) であり、ベノ・エックマン英語版の後を継いだ。モーザーはチューリッヒ工科大学の数学部門の再建を主導した。モーザーは1983年から1986年の間、国際数学連合の総裁だった。

学生[編集]

モーザーの学生には、ブランダイス大学のマーク・アドラー (Mark Adler)、エドワード・ベルブルーノ英語版チャールズ・コンリー英語版 (1933-1984)、ラトガース大学のハワード・ヤコブウィッツ (Howard Jacobwitz)、ウィスコンシン大学ポール・ラビノウィッツ英語版がいる。

賞と栄誉[編集]

モーザーは、1968年ハミルトン力学系英語版の理論への貢献に対してバーコフ賞英語版の最初の受賞者となり、1968年力学的天文学への貢献に対してジェームズ・クレイグ・ワトソン・メダルを、1984年王立オランダ数学会英語版ブラウアー・メダル英語版を、1992年ドイツ数学会カントール・メダルを、そして1995年ハミルトン系の安定性と非線型微分方程式に関する業績によりウルフ賞数学部門を受賞した。モーザーは1973年米国科学アカデミーの会員に選出され、ロンドン数学会マインツの科学文学アカデミーのような海外のアカデミーの通信会員になった。モーザーは4年ごとの国際数学者会議で3度、すなわちストックホルムでの応用数学の分野と (1962)ヘルシンキでの複素解析の分野 (1978)[2]での招待講演者、そしてベルリン (1998)での基調講演者[3]を務めた。1990年、ルール大学ボーフムパリ第6大学から名誉学位が贈られた。SIAM (学会)は2000年モーザーの功績を讃え、講義賞を設立した。

脚注[編集]

  1. ^ Jurgen Kurt Moser”. U.S. Naturalization Records Indexes, 1794–1995. Ancestry.com. 2011年6月12日閲覧。 “Name: Jurgen Kurt Moser; Age: 31; Birth Date: 4 Jul 1928; Issue Date: 2 Feb 1959; State: Massachusetts; Locality, Court: District of Massachusetts, District Court”(Paid subscription required要購読契約)
  2. ^ Moser, J. (1979). “The holomorphic equivalence of real hypersurfaces”. Proceedings of the International Congress of Mathematicians (Helsinki, 1978). pp. 659–668 
  3. ^ Moser, Jürgen (1998). “Dynamical systems — past and present”. Doc. Math. (Bielefeld) Extra Vol. ICM Berlin, 1998, vol. I. pp. 381–402. https://www.elibm.org/ft/10011742000 

参考文献[編集]

  • Mather, John N.; McKean, Henry P.; Nirenberg, Louis; Rabinowitz, Paul H. (December 2000). “Jürgen K. Moser” (.PDF). Notices of the AMS 4 (11): 1392–1405. http://www.ams.org/notices/200011/mem-moser.pdf 2007年8月20日閲覧。. 
  • J.J. O'Connor; E. F. Robertson. “Jürgen Kurt Moser”. 2008年7月4日閲覧。
  • Sylvia Nasar (1999年12月21日). “Obituary, New York Times”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1999/12/21/us/jurgen-moser-who-proved-celestial-theory-dies-at-71.html 2010年9月14日閲覧。 
  • American Institute of Physics. "Professional biography Jürgen Moser". 2012年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月5日閲覧 Cite journalテンプレートでは|journal=引数は必須です。 (説明)
  • Vladimir Arnold. Déclin des Mathématiques (après la mort de Jürgen Moser). http://smf4.emath.fr/en/Publications/Gazette/2000/84/smf_gazette_84_92-94.pdf 2012年10月11日閲覧。. 
  • ETH (2002年3月20日). “Biography of Jürgen Moser, by ETH”. ETH. 2013年4月2日閲覧。
  • Guardian (2000年3月20日). “Obituary of Moser, by Guardian”. The Guardian. https://www.theguardian.com/news/1999/dec/23/guardianobituaries1 2013年5月27日閲覧。 
  • SIAM (2001年4月20日). “Moser Lecture, by SIAM”. 2013年11月16日閲覧。
  • Max Planck Institut Leipzig (2001年5月31日). “In memoriam Jürgen Moser”. Moser Symposium, by MPI Leipzig. 2013年11月16日閲覧。