ユリエ・キルピネン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユリエ・キルピネン
Yrjö Kilpinen
基本情報
出生名 Yrjö Henrik Kilpinen
生誕 1892年2月4日
出身地 フィンランド大公国の旗 フィンランド大公国
ウーシマー州 ヘルシンキ
死没 (1959-03-02) 1959年3月2日(67歳没)
 フィンランド
ウーシマー州 ヘルシンキ
学歴 ヘルシンキ音楽大学
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家

ユリエ・ヘンリキ・キルピネン: Yrjö Henrik Kilpinen1892年2月4日 - 1959年3月2日)は、フィンランド作曲家である。フィンランドのフーゴ・ヴォルフと称されているほど多くのすばらしい歌曲を残した。

生涯[編集]

ヘルシンキに生まれた。1907年からヘルシンキ音楽大学(現在のシベリウス音楽院)で、1910年からウィーンで、1913年から1914年までベルリンで学んだ。

キルピネンは790を超える歌曲、6曲のピアノソナタ、1曲のヴァイオリンソナタおよびチェロソナタを作曲した。彼は歌曲の分野において20世紀最大の作曲家の一人と目されており、またジャン・シベリウス以後の1930年代から1940年代において最も有名なフィンランド人作曲家であった。

ドイツ国家社会主義の指導者との親交があったため、キルピネンは戦後ペルソナ・ノン・グラータとみなされるようになった。

1999年4月には、北米キルピネン協会が設立されている。

主な作品[編集]

  • 愛の歌IOp.60
  • 愛の歌IIOp.61
  • 死の歌 Op.62
  • 吟遊詩人の歌 Op.77

関連項目[編集]

  • エンシフェルム - 『木こりの歌』(Metsämiehen Laulu)のカヴァーを録音。「Finnish Medley」(EP『Dragonheads』)に収録。