ヤロスラフ・コチアン

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ヤロスラフ・コチアン
ヤロスラフ・コチアン(1901年)
基本情報
生誕 (1883-02-22) 1883年2月22日
出身地  チェコ
死没 (1950-03-08) 1950年3月8日(67歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト作曲家・音楽教師
担当楽器 ヴァイオリン

ヤロスラフ・コチアンJaroslav Kocián, 1883年2月22日1950年3月8日 )はチェコヴァイオリニスト作曲家・音楽教師。

略歴[編集]

プラハオタカール・シェフチークに師事し、ヤン・クベリークと並んで「“シェフチーク楽派”の俊英」と呼ばれた[1]。演奏家としては、J.S.バッハヴァイオリン作品の解釈で名高い。レコードはヤン・クベリークがグラモフォンビクター系・オデオンフォノティピア系に大量に録音をしたのとは対照的に、ヤロスラフ・コチアンは1909年にCOLUMBIA-PHONOGRAPH Co.へ10吋盤を片面3枚(セレナーデピエルネ作曲、カンツォネッタダンブロジオ作曲、エルフィンダンススピース作曲)のみ録音をした。古い録音で機械式吹込み法時代のSP盤しかなく、プレスは大量にされているのだが滅多に見掛ける事がない。他に1曲メンデルスゾーンの曲を映画で演奏をして居るので、モノクロームではあるが、コチアンが実際に演奏を行っている姿の動画が見る事が出来ると共に、その演奏を聴く事が可能である。パブロ・デ・サラサーテヨーゼフ・ヨアヒム、ヤン・クベリークの様にLPやCDに復刻されていない為、研究者や旧盤レコードの収集家からは現在も注目されている。教育者としては、長年プラハ音楽院で教鞭を執り、ヨセフ・スークらを育てた。スークは恩師のヴァイオリン作品を録音している。

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  1. ^ Jaroslav Smolka: Malá encyklopedie hudby. Prague: Editio Supraphon, 1983, p. 331