ヤロスラフ・クシーチカ

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クチシカ(右)とジョージ・セル1932年プラハにて。
オリンピック
芸術競技
1936 管弦楽

ヤロスラフ・クシチカJaroslav Křička, *1882年8月27日 モラヴィアのケルチュ - †1969年1月23日 プラハ)はチェコ作曲家・音楽教師・合唱指揮者

プラハベルリンに学ぶ。1906年から1909年までウクライナのイェカチェリノスラフ(現ドニエプロペトロフスク)にて作曲教師として勤務。1991年から1920年までプラハで合唱指揮者を務め、1922年よりプラハ・フィルハーモニー管弦楽団付属合唱団の指揮者を務める。1919年から1945年までプラハ音楽院の教壇に立ち、1942年より院長に就任した。

1936年ベルリンオリンピック芸術競技で『山の組曲』が銅メダルを獲得した。

歌劇劇付随音楽映画音楽を数多く手懸けたほか、2つの交響曲ヴァイオリン協奏曲、弦楽セレナーデ、いくつかの室内楽曲、合唱曲、童謡を遺した。