ヤコブのアポクリュフォン

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ヤコブのアポクリュフォンは、グノーシス文書の中の手紙の一つである。1945年エジプトの土中から見つかった『ナグ・ハマディ写本』群に含まれていた文書である[1]

成立年代[編集]

成立年代は確定できないとされている。一世紀後半から二世紀初めという時期を想定する見解もある[2]

内容[編集]

この手紙は、ヤコブがその弟子に宛てた手紙であるとされている。手紙の最初と最後を除いた部分に、ヤコブが、イエスから受けた特別な指導のことが書いてある。その指導は、おおむね以下のようになっている。

弟子による集会

イエスの死後、十二弟子と呼ばれた者たちが集まって「弟子の思い出」を書き記していたところに、イエスが現れた[3]

イエスの出現と、弟子たちへの言葉

イエスは、「天の国に入るには、その人が満たされている、という理由だけによるのである」と言った[4]。しかし、弟子の中ではヤコブとペトロが満たされていなかったので、イエスは、彼らを憐れに思い、満たしてあげようとした[5]

イエスとの会話

以下の部分は、イエスによるヤコブとペトロだけを対象とした対話となる。 イエスは、「あなたがた(ヤコブとペトロのことである)は、憐れみをうけた」と言った。「満たされていない者」は「虚しくなる者」であり、救われない者であるとして、イエスは、二人を満たしてあげようとした[6]

ペトロとヤコブの言動

ペトロは、「あなたは、わたしたちに満たされていなさいといいましたが、私たちは満たされています」と、イエスの言葉に対応した。ペトロは、イエスが満たそうとすることを拒んだ。「霊によって満たされず、逆に言葉において満たされていた」と、ペトロは、イエスに言われた。そうしたイエスの憐れみを、ペトロは三度拒んだ[7][8]。イエスは、ヤコブに対して、「あなたがたヤコブとペトロは、私を理解していなかった」[9]と語っている。ペトロの3度の拒否のあと、ヤコブは、イエスに対して、「十字架の話はしないでください」ということを語っている。イエスは、「偽善と邪悪な思いを持つな」という教えを二人に語り、「惨めな者」「不幸な者」「真理を偽る者」「認識(悟り)を偽称する者たち」「霊に背く者たち」という評価を下した。このように、二人を呼んでイエスが話した内容は、全体的に見て、弟子の、真理の不理解を正そうとするものであった。(15:25)[10]

イエスの最後の教え

「あなたがたに語るのはこれで終わりである」とイエスが言った後、二人は戦争騒音、ラッパの響き、そして、大きな騒動のヴィジョンを見たことになっている[11]。彼ら二人は、天に昇ろうとしたが、出来なかった理由は、残りの弟子たちが彼らを呼んだからである、と書き記している。(結び:25)[12]

関連項目[編集]

マリア福音書

参考文献[編集]

『ナグ・ハマディ文書 Ⅲ 説教・書簡』 岩波書店 1998年 荒井献、大貫隆、小林稔、筒井賢治訳 

脚注[編集]

  1. ^ 367年前後に現行新約聖書以外の経典を排除するように通達が出されたことと、写本群が土中に保存されていたこととは、関連があるとされている(出典『ナグ・ハマディ文書 Ⅱ 福音書』 岩波書店、1998年 序にかえてP8 荒井献、大貫隆、小林稔、筒井賢治訳)
  2. ^ 『ナグ・ハマディ文書 Ⅲ 説教・書簡』 岩波書店 1998年 解説ヤコブのアポクリュフォン P477 筒井
  3. ^ 岩波書店『ナグ・ハマディ文書 Ⅲ 』ヤコブのアポクリュフォン P276 2:3
  4. ^ イエスは天の国から来たようで、弟子たちにそこを見せてあげよう、という意味の言葉を言ったようだ。
  5. ^ その他の弟子については、そうする必要がなかったようで、そのまま、思い出を書く作業をしているようにと、イエスは言った。
  6. ^ イエスの死後、一年以上経っているのに、いまだにヤコブとペトロは、天国に行けるほどに霊的に満たされていない、ということを、イエスは彼らに伝えたかったと解釈できる。
  7. ^ 『ナグ・ハマディ文書 Ⅲ 』岩波書店 P279 ヤコブのアポクリュフォン 4:20
  8. ^ ペトロは、イエスの憐れみによって満たされることを、なぜ三度も拒んだのかについてはっきりしない。「言葉において満たされる」ということを、観念的な救済理論が出来上がっていた、とするならば、ペトロには、イエスの憐れみも、イエスの存在そのものも、不要であったのかもしれない。また、ヤコブに関しては、霊的な満たしを受けたのかどうかはっきりとは書いていないが、その後の対話を見る限り、受ける機会はなかったようだ。
  9. ^ 『ナグ・ハマディ文書 Ⅲ 』岩波書店 P290 ヤコブのアポクリュフォン 14:1
  10. ^ しかし、ヤコブ本人の感覚としては、ほかの弟子が受けられない秘密の教えを受けている、という感覚しかなかったようである。この書において、実際にイエスが語った言葉はどうだったのかについては、よくわからないと思われる。また、弟子たちがイエスの教えを受けたのは3年弱にすぎず、イエスの死後、この時の顕現までは500日以上経っていたとされていることも、話がかみ合っていない原因の一つであると思われる。
  11. ^ このヴィジョンから、2000年ほど経っていることを考えると、それは、最後の審判のヴィジョンではなく、彼ら二人から生まれる宗派が引き起こす将来の騒動を、イエスが見せたものであると解釈できる。
  12. ^ しかし、それは、イエスの憐れみを拒んだからであるといえる。また、彼らの望む神話的な神のいる次元というものが、そもそも無かった、とも考えられる。