ヤクブ・フルシャ

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ヤクブ・フルシャ
Jakub Hrůša
Jakub Hrusa.jpg
ヤクブ・フルシャ
基本情報
出生名 Jakub Hrůša
生誕 1981年7月23日
 チェコブルノ
出身地 ブルノ
学歴 プラハ芸術アカデミー
ジャンル 指揮者
活動期間 1981年 -
事務所 IMG Artists
共同作業者 プラハ・フィルハーモニア
公式サイト http://www.jakubhrusa.com/

ヤクブ・フルシャJakub Hrůša1981年7月23日 - )は、チェコブルノ出身の指揮者

建築家のペトル・フルシャ(Petr Hrůša)を父親に持つ[1][2][3]

プラハ・フィルハーモニア音楽監督兼首席指揮者、東京都交響楽団プリンシパル・ゲスト・コンダクター。バンベルク交響楽団首席指揮者。

人物とその活動[編集]

2011年に『グラモフォン』誌で、「大指揮者になりそうな10人の若手指揮者」のうちの1人に選ばれた[4]

ブルノのギムナジウムに通っていたころは、ピアノとトロンボーンを習っていたが、次第に指揮に興味を持つようになった。その後プラハ芸術アカデミーに進学し、イルジー・ビエロフラーヴェクラドミル・エリシュカらに指揮を学んだ。

2000年にプラハの春国際音楽コンクール指揮者部門に出場、このときは予選落ちした。フルシャはこのことについて

「指揮者になろうとした時に背中を押してくれたのはラドミル・エリシュカ先生でした。まだプラハ音楽アカデミーの1年生の時に『プラハの春国際指揮者コンクール』に出場するように奨めてくれたのです。その時は結局本選には進めなかったのですが、初めてプロのオーケストラを指揮するという貴重な経験を得ることが出来ました」

と語っている[5]

2004年にアカデミーを卒業した。ルドルフィヌムでの卒業コンサートでは、プラハ放送交響楽団を指揮してヨゼフ・スークの『アスラエル交響曲』を演奏した。

卒業後はチェコ・フィルハーモニー管弦楽団などのチェコ内のオーケストラや、フィルハーモニア管弦楽団ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団シュトゥットガルト放送交響楽団ベルリン・ドイツ交響楽団BBC交響楽団などの世界各地のオーケストラに客演を行いつつ、ヨーロッパのオケでポストを得て経験を積む。

2010年にはプラハの春国際音楽祭オープニングコンサートの指揮者を最年少で務めた[6]。また、同年より東京都交響楽団プリンシパル・ゲスト・コンダクターに就任した。就任会見では都響について

日本のオーケストラは個性がないと言われるようですが、私はそうは思いません。特に都響について言えば“高い柔軟性”という個性があります。指揮者が指示したことが必ず返ってくる。これは鍛錬を積んだ技術力、正確なリズム感、バランス、理解力がないとできません。とても大きな魅力でしょう。

と語った[7]

東日本大震災よりちょうど1年後の2012年3月11日には、本人の希望で、ともに来日していたプラハ・フィルハーモニアのメンバーと、東京都交響楽団のメンバー5人が加わって、ドヴォルザーク交響曲第9番より第2楽章:ラルゴを演奏し、追悼演奏を行った[8]

デンマーク王立歌劇場の音楽監督就任とトラブル[編集]

寄付を受けたOperaen

2011年1月にムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」でのデンマーク王立歌劇場でのデビューをきっかけとして、同10月に、2013年8月より同劇場の音楽監督にも就任することが発表された。フルシャは2011年10月より同劇場の「音楽コンサルタント」というポストにいたが[9]、年が明けた2012年1月に、当時王立歌劇場の芸術監督であったキース・ウォーナーと共に、音楽監督就任を辞退する旨を表明した。現地新聞では両者の軋轢が報じられたが[10]、デンマーク国内の景気が悪化した上、オペラハウスの維持費がかさんでいたところに、欧州経済危機が相俟って、100人規模のリストラ、公演数・プロダクション数の削減をしなければならなくなったことから、両者は「(人員削減によって演目のクオリティが保てず)芸術的な責任が取れない」と判断した[11][12][13]。芸術監督であったキース・ウォーナーはこの時点でまだ一度も仕事をしていなかったが、すでに来シーズンのプログラムが組んであったため、結局2012年の夏まではポストにとどまることとなった。

経緯[編集]

元々王立歌劇場は、デンマークの劇場に対して配分される文化予算の40%の費用を占める組織であったが、フルシャの就任発表のあった時期は、新オペラハウスの寄贈による予算増額のために、さらなる配分を受けていた。ここに至る経緯としては、デンマークの企業で、世界一の海運会社であるA.P. モラー・マースクから新オペラハウス「Operaen」の寄付の申し出がなされ、受け取ると掛かってしまう維持費と税金が劇場の年間予算に匹敵する額であったので、そんな費用は捻出する余裕がない為、一度劇場は断っていた。しかし、時の首相や文化大臣の意思もあり、受け取る代わりに予算を大幅増額することで一応の決着をつけていた。劇場の建設は2000年に発表され、2005年に開幕公演が行われた。[14]

Operaenの内部

そのため新たな劇場を所有する記念として、劇場は“コペンハーゲン・リング”(王立歌劇場による『ニーベルングの指環』)を製作し、国際的にも名が売れ、コンテンツとして素晴らしい成果を残したが、そんな折に欧州経済危機が起こり、デンマーク経済もその煽りをもろに受け、真っ先に劇場の予算は削減の対象へとなってしまった。なお、デンマークの文化政策はコペンハーゲン偏重だとの批判があり、中央の文化予算を減額して地方に配分する流れがあり、このことも関係したと考えられる。

予算を減らされて一番困ったのは、もちろん芝居用劇場と、旧・新オペラハウスの合わせて3つを所有していた王立歌劇場であった。寄付を受けた新オペラハウスをどうするかという騒動が収まらないまま、シーズンをそのままスタートさせたものの、元々所有していた3つの劇場で合わせて年間600回行っていた予定の公演を100回も減らさざるを得なくなり、かなりのダメージを受けることとなってしまった。その影響をもろに受け、こんな予算ではやっていけないということになり、それが今回の発表と辞任につながった。

結局、劇場は「Operaen」を所有することによって、所有する前より公演製作費を減らしてしまう皮肉な状況に陥った。そこで、寄付を受けた新オペラハウスを返還しようとしてみたものの「省内に特設ワーキングチームを作って目下の策を検討する」とのことで、文化大臣に返還を断られた。劇場は新オペラハウスさえ何とかなればうまくいくというわけでもなく、元々持っていた18世紀に建設された旧オペラハウスも、改修費用などの維持管理費でかなりの予算を費やしており、「新オペラハウスを返すくらいなら旧オペラハウスを潰してしまえ」という意見が公然と出るほどであった。劇場は慢性的な赤字体質に陥っており、抜本的な改革を必要としている[15][16][17][18][19][20][21]

今後の展望[編集]

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席ホルン奏者のラデク・バボラークは、プラハ・フィルハーモニアが初めて入団した楽団で、ベルリン・フィル退団後にソリストとして活躍する傍ら、「レジデント・アーティスト」として舞い戻った。フルシャとは、同じチェコ人ということや、プラハ・フィルハーモニア繋がりで関係が深く、

「いまでは肩書を外していますが、変わらずソロや室内楽で頻繁に共演してくれたり、音楽的アドバイスをしてくれる、親密な関係です。この世界最高のホルン奏者は、私たちの誇りです」

と語っている。[22]

今後はオーケストラ作品を中心に演奏していきたいと考えているという。いくつかオペラの客演の仕事もこなすが、だんだん少なくして行く予定で、今はオーケストラ曲に集中しながら自分の世界を広げて生きたいと語る。[23]

マルティヌーの音楽は自分にとってとても重要で、その作品を演奏することは20世紀音楽の知る上でとても重要だという。国際マルティヌー協会会長。[24]

受賞歴[編集]

楽団[編集]

  • 過去
  • 現在
    • 2008年 - プラハ・フィルハーモニア 首席指揮者兼音楽監督
    • 2010年 - 東京都交響楽団 プリンシパル・ゲスト・コンダクター(年1回の公演)
      • 2008年に初めて客演した際に、楽団員から事務局に早く何かのポストを提供するよう強く要望があったという[25]
    • 就任年不明 - グラインドボーン・オン・ツアー音楽監督
  • 予定

ディスコグラフィー[編集]

  • 2006年 Czech Suite, Waltzes, Polonaise
  • 2006年 2 Clarinets Concerto, Sinfoniaconcertante: Petraglio
  • 2006年 弦楽セレナード、幻想的スケルツォ、他
  • 2008年 弦楽セレナード管楽セレナード、他
  • 2008年 アリア集 幸田浩子 フルーシャ&プラハ・フィルハーモニア
  • 2008年 Taras Bulba, Lachian Dances, The Cunning Little Vixen Suite
  • 2009年 カリヨン〜幸田浩子 愛と祈りを歌う [CD+DVD]
  • 2009年 マルティヌー:チェロ協奏曲第1番、フェルステル:チェロ協奏曲、他
  • 2010年 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲、ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 (Vn:ニコラ・ベネデッティ
  • 2010年 スメタナ:交響詩「わが祖国」(全曲)(第65回プラハの春国際音楽祭オープニングコンサート ライヴ録音)
  • 2010年 アメリカ時代のドヴォルザーク
  • 2011年 シンフォニエッタ第1番、第3番、ピアノ協奏曲第3番:クビーク

脚注[編集]

  1. ^ 本項の他言語版参照
  2. ^ [1]
  3. ^ [2] ペトル・フルシャ公式サイト
  4. ^ [3] プラハ・フィルハーモニアによる紹介
  5. ^ [4] TOWER RECORDSによるインタビュー
  6. ^ [5]公式サイトプロフィール
  7. ^ [6]
  8. ^ [7]
  9. ^ [8]
  10. ^ [9]HMVクラシックニュース
  11. ^ [10] HMVクラシックニュース
  12. ^ [11]
  13. ^ [12]
  14. ^ [:da]
  15. ^ [13] グラモフォンによる関連記事
  16. ^ [14] 同時に辞める旨を発表したキース・ウォーナーの発言
  17. ^ [15] politikenによる記事
  18. ^ [16]
  19. ^ [17]
  20. ^ [18]
  21. ^ [19]
  22. ^ MOSTLY CLASSIC 2012年3月号 P.101
  23. ^ [20] TOWER RECORDSによるインタビュー
  24. ^ [21]
  25. ^ MOSTLY CLASSIC 2012年3月号 P.101

外部リンク[編集]

先代:
不明
ボフスラフ・マルティヌー・フィルハーモニック
音楽監督
2005年 - 2008年
次代:
不明
先代:
カスパル・ツェーンダー
プラハ・フィルハーモニア
首席指揮者・芸術監督
2008年 -
次代:
先代:
不明
東京都交響楽団
プリンシパル・ゲスト・コンダクター
2010年 -
次代:
不明
先代:
不明
デンマーク王立歌劇場
音楽監督
2013年 -
次代:
不明