ヤオハンジャパン硬式野球部
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チーム名(通称) | ヤオハン |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 |
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創部 | 1985年 |
廃部 | 1998年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 2回 |
最近の出場 | 1997年 |
最高成績 | 2回戦敗退 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | なし |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | 3回 |
最近の出場 | 1998年 |
最高成績 | 優勝(2回) |
ヤオハンジャパン硬式野球部(ヤオハンジャパンこうしきやきゅうぶ)は、静岡県沼津市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。
概要[編集]
1985年、元プロ野球選手の江藤愼一が静岡県田方郡天城湯ケ島町(現:伊豆市)を本拠地とし、『日本野球体育学園』(通称「江藤野球塾」)を設立。
1986年、チーム名を『天城ベースボールクラブ』に改称した。同年のクラブ選手権に初出場を果たす。
1991年、元プロ野球選手の岡嶋博治を監督に招聘すると[1]、5年ぶり2度目の出場となった同年のクラブ選手権で優勝を果たした[2]。
1992年から、ヤオハン・ジャパンと業務提携し、チーム名を『ヤオハンジャパン硬式野球部』に改称した。登録種別もクラブ登録から企業登録へ変更した[1]。選手強化を進め、スリーボンド・中山恵一(日体大)、本田技研鈴鹿・羽山忠宏(東海大)等が移籍して戦力もアップしていった。
1994年には、沼津市代表として都市対抗野球に初出場し[1]、1回戦でいすゞ自動車を破り初勝利をあげた。
1997年、3年ぶり2度目の都市対抗野球出場を決めたが初戦敗退に終わる。同年9月、親会社の倒産により活動を休止する。
1998年、アムウェイと業務提携した上でクラブチームの『アムウェイ・レッドソックス』として再出発する。女子の登録選手がおり、同年のクラブ選手権の1回戦で代打として出場し四球を選び出塁した。社会人野球における全国規模の大会で、女子選手が出場したのは初めてのことであった[3]。同大会ではその後も勝ち進み2度目の優勝を果たすが、翌年限りで活動を終了した。
設立・沿革[編集]
- 1985年 - 『日本野球体育学園』として創部。
- 1986年 - チーム名を『天城ベースボールクラブ』に改称。クラブ選手権に初出場。
- 1991年 - クラブ選手権で初優勝。
- 1992年 - ヤオハン・ジャパンとの業務提携に伴い、チーム名を『ヤオハンジャパン硬式野球部』に改称し、登録種別を企業登録に変更。
- 1994年 - 都市対抗野球に初出場(2回戦敗退)。
- 1997年 - 母体の倒産により活動休止。
- 1998年 - アムウェイとの業務提携の上、『アムウェイ・レッドソックス』として再出発。クラブ選手権で2度目の優勝。
- 1999年 - 同年限りで活動終了。
主要大会の出場歴・最高成績[編集]
- 都市対抗野球大会:出場2回(1994年、1997年)
- 全日本クラブ野球選手権大会:出場3回、優勝2回(1991年、1998年)
主な出身プロ野球選手[編集]
- 竹峰丈太郎(内野手) - 1988年ドラフト外で阪神タイガースに入団 ※日本野球体育学園初のプロ野球選手
- 大西崇之(外野手) - 1994年ドラフト6位で中日ドラゴンズに入団
- 岡本真也(投手) - 廃部に伴いヤマハに移籍し、2000年ドラフト4位で中日ドラゴンズに入団
- 森田丈武(内野手) - 廃部に伴い三菱自動車岡崎に移籍し、その後エルマイラ・パイオニアーズ、香川オリーブガイナーズを経て、2008年育成選手ドラフト1位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団