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モーリハイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

モーリハイ(生没年:? - 1469年?[1])は、北元の部族長。オンリュート部の指導者。チンギス・カンの同母弟であるジョチ・カサルの後裔[2]、あるいはチンギスの異母弟ベルグテイの後裔[3]と言われる。漢文史料では毛里孩と表記される。

生涯

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1454年オイラト部族エセンが殺害された後、ハラチン部のボライ・タイシの下でモンゴル高原で勢力を拡大した。1465年にボライがマルコルギス・ハーンを殺害した後、ボライを暗殺する[1]。部下からハーンへの即位を進められるが辞退し[1][3]、マルコルギスの異母兄であるモーランを擁立する。敵対者である斡羅出を追放してモンゴル内の実権を握り、大同に侵入した[4]

1466年にモーランを殺害した後、モーリハイは新たなハーンを立てず、北元の空位時代が始まった[2]1467年に明の皇帝成化帝は撫寧侯・朱永らにモーリハイ討伐を命じるが、モーリハイが通貢を願い出たため遠征は取りやめになった[4]。翌1468年、明の給事中・程万里はモーリハイの討伐を奏上するが、彼の意見は容れられなかった。

モーリハイはジョチ・カサルの後裔であるホルチン部のウネバラトに敗れて没落し[1][5]、クングイ・ジャブハンの宿営地で6人の子と共に殺害された[1]

脚注

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注釈

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出典

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  1. 1 2 3 4 5 平凡社 1962, p. 64.
  2. 1 2 若松 1999, p. 93.
  3. 1 2 岡田 2010, pp. 69–70.
  4. 1 2 羽田・佐藤 1973, p. 24.
  5. 岡田 2010, p. 70.

参考資料

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  • 岡田英弘『モンゴル帝国から大清帝国へ』藤原書店、2010年11月。ISBN 978-4894347724 
  • 平凡社『アジア歴史事典(ムーワ)』 9巻、平凡社、1962年。 
  • 若松寛『北アジア史』同朋舎〈アジアの歴史と文化7〉、1999年4月。ISBN 978-4810408607 
  • 羽田明、佐藤長 他訳注『騎馬民族史 正史北狄伝』 3巻、平凡社〈東洋文庫〉、1973年3月。ISBN 9784582801972