モード・オブ・ハンティンドン
| モード・オブ・ハンティンドン Maud of Huntingdon | |
|---|---|
| スコットランド王妃 | |
| 在位 | 1124年 - 1130年 |
| 別称号 | 第2代ハンティンドン女伯 |
| 出生 |
1072年 |
| 死去 |
1130年4月23日 |
| 埋葬 |
|
| 配偶者 | シモン1世・ド・サンリス |
| スコットランド王デイヴィッド1世 | |
| 子女 |
マティルダ シモン2世 ウォルシオフ マルカム ヘンリー クラリシア ホディエルナ |
| 父親 | ノーサンブリア伯・ハンティンドン伯ウォルシオフ |
| 母親 | ジュディット・ド・ランス |
モード・オブ・ハンティンドン(Maud of Huntingdon, 1072年 - 1130年4月23日)またはマティルダ(Matilda)は、スコットランド王デイヴィッド1世の王妃。イングランド王ウィリアム征服王の姪の娘、ノーサンブリア伯シワードの孫娘にあたる。
生涯
[編集]モードは、ハンティンドン伯・ノーサンプトン伯ウォルシオフとジュディット・ド・ランスの娘である。父ウォルシオフは、1066年のノルマン・コンクェスト後も権力を維持した最後のアングロ=サクソン人伯爵であり、ノーサンブリア伯シワードの息子であった。また、母ジュディットはウィリアム征服王の姪であった。母はブローニュ伯家出身であり、モードはアルフレッド大王と西フランク王シャルル2世の子孫であり、ゴドフロワ・ド・ブイヨンの従姉妹の子にあたる。
モードは1090年頃にシモン1世・ド・サンリスと結婚した[1]。それ以前に、ウィリアム1世はモードの母ジュディットをシモン1世と結婚させようとしていた。シモン1世は、おそらく妻の権利として、1090年末までにウィリアム2世からハンティンドン(イングランド東部の大部分に広がる領地)伯位を与えられたと考えられている[2][3]。
シモン1世との間には3子が生まれたことが知られている[2]。
- マティルダ(モード、1140年没) - トンブリッジのロバート・フィッツリチャードと結婚、初代ウィンチェスター伯セア・ド・クインシーと結婚
- シモン2世(1098年頃 - 1153年)
- ウォルシオフ(1100年頃 - 1159/60年) - メルローズ修道院長
最初の夫シモン1世は1111年以降に亡くなり、モードは1113年にイングランド王ヘンリー1世の義弟にあたるデイヴィッドと再婚した[1][3]。この結婚により、デイヴィッドはカンブリアとストラスクライドの自身の領地に加えて、妻のイングランドの広大な領地の支配権も得た[3]。2人の間には4子(2男2女)が生まれた[1]。
- マルカム(1113年頃 - ?) - 早世
- ヘンリー(1114年頃 - 1152年)
- クラリシア - 未婚で死去
- ホディエルナ - 早世
1124年、デイヴィッドはスコットランド王(デイヴィッド1世)となった。モードの父を異にする2人の息子、シモン2世とヘンリーは、後にハンティンドン伯位を争うことになる[3]。
モードは1130年(または1131年)に亡くなり、パースシャーのスクーン修道院に埋葬されたが、1147年の出所不明の特許状にモードの名前が記されている[1]。
脚注
[編集]- 1 2 3 4 Weir, Alison (1995). Britain's Royal Families: The Complete Genealogy, Revised Edition. London: Random House. ISBN 0-7126-7448-9. p. 192
- 1 2 Matthew Strickland, "Senlis, Simon (I) de", Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004. doi:10.1093/ref:odnb/25091
- 1 2 3 4 G. W. S. Barrow, "David I (c.1085–1153)", Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, Sept 2004; online edn, Jan 2006 ; Maud (d. 1131): doi:10.1093/ref:odnb/49353